オードリー・ヘップバーン主演・フレッド・ジンネマン監督。ベルギーとコンゴを舞台にカトリック修道院の尼僧となった一人の女性の献身と苦悩、心の声と尼僧の現実の葛藤を描いた作品です。1959年アメリカ作品。
尼僧の修道院内の様子がリアルに描き出されます。観ていて「カトリック教会がよくシナリオを許したもんだなあ」と思えるほど、密着感があります。
永遠の美のアイコン・オードリー・ヘップバーン主演による、実際に尼僧だった女性「マリー=ルイーズ・アベ」の半生を描いた『尼僧物語』をレビューします。
『尼僧物語』あらすじ(ラストネタバレあり〜閲覧注意!)
以下はラストまでネタバレとなりますので、映画をご覧になる方はスルーしてください。
+ + +
舞台はベルギー。一人の女性が普段の生活を捨て、修道院の門を叩く。彼女の名前はガブリエル(オードリー・ヘップバーン)。高明な医師の娘だ。
修道院内で見習いの尼僧となったガブリエルを軸に、修道院の厳しい戒律による生活の様子が描かれる。
次々に脱落していく見習い尼僧がいる中、ガブリエルはシスター・ルークという尼僧名をもらい、さらに献身と懺悔の生活を続ける。
シスター・ルークの希望はベルギー領コンゴにある診療所での献身だった。現地はデング熱が流行し、診療所では修道女たちが看護師として身を賭して働いていることを知っての希望だった。
しかしその望みは聞き入れられず、シスター・ルークは国内の精神を病んだ患者の施設療養院での看護に着くことに。彼女は療養院での献身を経て、ついにはコンゴでの診療従事者としての切符を手にする。
ベルギー領コンゴへ到着するシスター・ルーク。
着任した診療所内での彼女の上司は、カトリック精神とは真逆な、能率重視で現実主義の外科医・フォルテュナティだった。
敏腕医師フォルテュナティはシスター・ルークの腕に一目置く。しかし同時に、彼女が世俗的な心を持っていることや尼僧世界のアンバランスを揶揄。シスター・ルークは彼の言葉に戸惑う。
そんなコンゴでのハードな日常がたたり、シスター・ルークは結核菌におかされる。
シスター・ルークの健康を気遣い、治療にあたる師フォルテュナティ。医師の治療が身を結び、シスター・ルークは健康を取り戻す。
そんなコンゴの生活にピリオドを打つ日がやってくる。帰国の命令だ。
命令は絶対だ。シスタールークはベルギーへ戻ることになる。
しかし帰国したベルギー本土には、第二次世界大戦の影が忍び寄っていた。中立国であるにもかかわらずナチスドイツはベルギーに軍を進める。
占領されるか、抵抗か?しかし修道院の戒律は抵抗を禁じるものだった。悩むシスター・ルーク。
そんなある日、機銃掃射で父が命を落としたとの報が入る。
悩みにピリオドを打つ、ルーク。
僧服を脱ぎ、シスター・ルークの名を返し、ガブリエルに戻った彼女は修道院の扉を内側から開き、街中へと歩き出した。
映画は歩くガブリエルの後ろ姿が街角に消えるシーンで終わります。
『尼僧物語』スタッフ・キャスト
スタッフ….監督:フレッド・ジンネマン|脚本:ロバート・アンダーソン|
キャスト….ガブリエル/シスター・ルーク:オードリー・ヘップバーン|外科医フォルテュナティ/ピーター・フィンチ|バン・デル・マル博士/ディーン・ジャガー|マザー・エマニュエル/イーデス・エバンス|マザー・マチルダ/ペギー・アシュクロフト|他
『尼僧物語』ぼくの感想レビュー
正直に言います。
この映画のレビューを書くかどうか、迷いました。
映画レビューサイトを運営しているぼくですが、何を隠そうオードリー・ヘップバーンの出演した映画は『ローマの休日』と『マイ・フェア・レディ』そして最後の出演作『オールウェイズ』の3本しか観ていないのです。
「世紀の名女優、映画界・ファッション界のアイコン」とまで言われるヘップバーン。彼女の出演ムービーをたった3本しか観ていない。そんなへなちょこ運営人がヘップバーンのことを書いていいのかどうか、、、。
しかし、映画の感想は、そんな観劇本数には関係ないはず、と開き直り書くことにしました。
正直に言います・1
やっぱりオードリー・ヘップバーンは超絶キュートです。
世俗と真逆の修道院にあってもやっぱりキュートすぎます。
しかし、キュートって超絶に世俗的なワードです。
世俗と真逆の修道院内という舞台で動き回るオードリー・ヘップバーン発するキュートオーラ。それはどんなに僧服で隠してもどこまでもキュートなのです。
「こんな修道女がいたなら、それだけで罪だよなあ。」と思ってしまったぼくは、間違いなく地獄へ落ちます。
そうなんです。『尼僧物語』という聖なるかつ真摯な内容を演じるオードリー・ヘップバーンのキュートで美しすぎる姿に最後まで目がハートマーク。…心の中の戸惑いを最後まで払拭できませんでした。
そういえば「美しさは罪だ」とどこかの誰かが言ってました。
修道院内のリアルな現実を見せてくれる映画です。が、同時に、世の男性のほぼ全員を罪人にしてしまう罪深い映画でもあるのでした。
正直に言います・2
ぼくは映画前半、修道院内のドキュメント映画だと思い込んでしまいました。
冒頭でガブリエル(オードリー・ヘップバーン)が修道院の扉を叩き、入門します。
そこからはガブリエルが修道院内で修行するシーンが続きます。懺悔をしたり、戒律の様子が撮られたり。それも結構長く。
なんの前情報もなく映画を見始めたぼくは、正直、こう思いました。
「そうか、この映画はオードリー・ヘップバーンが出演しているけれども、修道院内の様子を描いたドキュメント映画だったのか、、、?」
もちろんそうではありませんでした。途中から物語は動き始めますから。
でも、「ヘップバーン主演のドキュメント映画だったのか。当時の映画界はヘップバーンでドキュメント撮影するなんてすごいことを平気でしてたんだな」と思っちゃったのです。
それが勘違いだったことが途中から判明。で、思いました。「ぼくは、ほんまに罪深いヤツだな」
正直に言います・3
外科医・フォルテュナティの世俗的なキャラと演技に、ぼくはようやくホッとしました。
修道院内のシーンから厳しい戒律の連続に、気持ちの上ではほぼ正座で映画を観ていたのでしょう。
フォルテュナティの発する「べらんめえ調アメリカンイングリッシュ」による台詞がヨイのです。セリフの内容も戒律重んじる尼僧へのアンチ的発言ばかりなのですが、これが、響いてくるのです。ホッとするのです。
「人間って世俗に揉まれてナンボだよ。それって決して罪じゃないぜ」
と暗にシスター・ルークに行っているわけですが、同時に観客へのメッセージだったのかもしれません。
だからぼくは外科医・フォルテュナティのセリフの数々に「ホッ」としたのだと思います。
正直に言います・4
「え?これで終わりなの???」これがぼくの映画ラストへの感想でした。
戦争が始まり戒律と抵抗心の板挟みに苦しんだシスター・ルークは最後に尼僧の立場へ決別、「環俗」します。
修道院の扉の外に私服に着替え、ガブリエルに戻ったオードリー・ヘップバーンが後ろを振り返ることなく歩き始めます。そして、角を曲がって、、、、その後のシーンが当然あるものだ…と思ってしまった罪深いぼくでした。
評価に替えて〜M女史との「ヘップバーン」談義
ぼく(以下・ぼ)「なんかね、修道院の世界、ピンとこなかったんだよね…」
M「そんなとこみちゃだめよ」
ぼ「え?」
M「だから、観方が「間違ってるの!」
ぼ「どう観ればよかったん?」
M「もう、わかってないな~。ヘップバーンの映画はね、ヘップバーンがスクリーンに出ているだけでいいのよ!」
ぼ「出てるだけって…でもさ、前半、長すぎるよ」
M「だからさ、ヘップバーンの映画はね、そういうこと関係ないわけ!全カットオールヘップバーン!それを楽しむの!」
ぼ「内容がどうの、とか、どうでもヨイわけ?」
M「当たり前じゃん!ヘップバーンはね、世界でただ一人、それが許されるただ一人の神なのよ。わかってないな~」
ぼ「そういえば、確かにほぼ全シーン、ヘップバーンだった…」
M「でしょ?ヘップバーンの映画はね、映画の内容を追うんじゃないの!ヘップバーンの可愛さと美しさに見惚れるの。」
ぼ「納得!」
M「気づくの、おそ!」
M女史との対話に、今更ながら新しい映画の見方を教えられたのでした。
『尼僧物語』映画のロケ地は?
『尼僧物語』は中世のような街並みが前半の舞台となります。オープニングは「ベルギー観光庁推薦」の字幕が入りそうなほど(入りませんが)ベルギーカラーが濃いです。それもそのはず、ロケされた場所はベルギーのブルージュ・歴史地区。映画は1958年に撮影されていますが、2000年に世界遺産に登録されています。
ブルージュは水の都とも言われますが、運河が今も街中を走り、中世の色が色濃く残る街。ぼくも1992年のヨーロッパ放浪時に訪れていますが、それは素敵な町。ロケに使われたのも頷けます。
ちなみに主人公が尼僧となる修道院外観はベギン会修道院がロケで使われたようです。修道院内はローマの撮影所内で緻密なセットが組まれて撮影されたと記録があります。
アフリカ・コンゴではスタンレーヴィルで撮影されています。(当時コンゴはベルギー領でした)
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