こんにちは!映画好き絵描きのタクです。今回取り上げる映画は、『ノマドランド』。アメリカ映画:2020年作品です。
家を持たずに車で移動しながら仕事を見つけ旅を続けるという異色のロードムービーです。第77回ベネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞、他、様々な映画祭で各賞受賞しています。
旅っていろんなスタイルがありますよね。
パッケージ観光ツアーからバックパッカー放浪まで多種多様。キャンピングカーであちこち泊まり歩くスタイルも日本でもふえてきました。
この映画『ノマドランド』の主人公も自家製キャンピングカーの旅をします。ですが、決定的にそんなほかの旅と違う点があります。
それは、「帰るべき家を持っていない…」ということです。
主人公ファーンは、とある町から企業が撤退、郵便番号さえ抹消となり、町は消滅、戻る家のない旅に出ます。
「ホームレスじゃないわ。ハウスレスよ」とはファーンのセリフです。
『ノマドランド』は、家を持たずにクルマに寝泊まりして旅から旅へと非定住なファーンと、同じようなノマドワーカーの仲間を描いた映画です。
観客に帰るべき場所とは??を問いかけてくるドキュメント風のロードムービーをレビューしてみます。
「ジプサム社はネバダ州ジプサム採掘場を閉鎖 2011年1月31日 町が消えた」
から物語は始まります。
『ノマドランド』予告編
『ノマドランド』スタッフ・キャスト
原作:ジェシカ・ブルーダー
監督:クロエ・ジャオ
キャスト:フランシス・マクドーマン デヴィッド・ストラザーン他
『ノマドランド』あらすじ
あらすじは映画.comから転載します。
物語:家を失った女性は、キャンピングカーに人生を詰め込み旅に出た
ネバダ州の企業城下町で暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーに亡き夫との思い出や、人生の全てを詰め込んだ彼女は“現代のノマド(放浪の民)”として車上生活を送ることに。
過酷な季節労働の現場を渡り歩き、毎日を懸命に乗り越えながら、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ねる。誇りを持って自由を生きるファーンの旅は、果たしてどこへ続いているのか――
『ノマドランド』解説
実話?それともフィクション?
原作は実話ノンフィクションとのことですが、映画は原作をベースに新たな物語として作り上げたフィクションだということです。
旅先で出会う人々は実際のノマドピープルだということで、ある意味、斬新な映画だと思います。
全編貫く淡々とした客観的なカメラ視点は、それを意識しての、あえての静けさです。
どんなタイプのロードムービー?
『ノマドランド』は映画のジャンル分けをするならば、ロードムービーに当たる映画です。
ただ、普通のロードムービーと決定的に違っているところがあります。
それは主人公が、帰るべき家がない、、、ということ。
旅っていろんなスタイルがありますよね。
パッケージ観光ツアーからバックパッカー放浪まで多種多様。
キャンピングカーであちこち泊まり歩くスタイルは、日本でもふえてきました。
この映画『ノマドランド』の主人公も自家製キャンピングカーで旅を進めるスタイルですが、決定的に他の旅と違う点が、「帰るべき家を持っていない」…ということです。
主人公のファーンがそんな生活を問われ「ホームレスじゃないわ。ハウスレスよ」と言葉を返すシーンがあります。
とある町から石灰採掘企業が撤退し、町も無くなり、住む場所を無くした主人公は、戻る家のない旅に出ます。
たった一つの企業が一つの町さえも作り出し、その企業が撤退すると、町そのものが消えてなくなってしまう…というアメリカの現実を浮き彫りにしています。
日本において、一つの企業撤退で町そのものが消えた例はあまり聞きませんが、強いていうならば東日本大震災の福島第一原発と周辺町村がそれに近いかもしれません。
(とはいえ、こちらは行政による強制避難でしたから、やはり違うな、、、)
「ノマド」って何?
『ノマドランド』のノマドの意味をしらべてみました。まずは日本語に訳してみますね。
ノマドって、「nomad」と綴ります。その日本語訳は「遊牧民」「流人」「流浪者」「放浪者」です。
「遊牧民」って、家畜たちのエサとなる牧草地を探し求めながら回遊する明蔵のことを指します。
「流人」島流しに処せられた人…という印象がありますね。
「流浪者」「放浪者」…あてなく旅する者というイメージが匂っています。これが映画に近いかも。
映画のタイトルを訳すなら『放浪の地』とでもなるのでしょうか。
『ノマドランド』は、住む場所を失い、クルマ(キャンピングカー)で旅をしながら暮らす人々の存在を描いた映画です。
『ノマドランド』で描かれる社会背景
『ノマドランド』を観てぼくが初めて知ったことが、二つありました。
1.かのアマゾンが非定住労働者の受け皿になっているということ。
2.ハウスレスのノマドピープルのコミュニティがあるということ。
この二つの現実を映画を通して知ったことは、カルチャーショックでした。
日本でもかつては「出稼ぎ」という労働スタイルがありましたが、劇中のノマドとは似て非なるものです。
出稼ぎ従事者はあくまで農閑期の季節労働者です。都会での仕事を終えたあと、地方には戻るべき家がありました。
また、その昔ヒッピーカルチャーがブームになったころ、ヒッピーコミュニティがあちこちにあったと聞きます。
映画を見ていると、ノマドコミュニティの存在から、そのヒッピーコミュニティを連想しますが、決して同類のものではなく、ノマドコミュニティは2009年のリーマンショックを境に発生した会社と家を失った人々の共同体のようです。
ヒッピーはある意味カウンターカルチャーを生み出すベースメントのような性格を持っていたのですが、ノマドコミュニティは違うようです。
カウンターカルチャーというよりも、カウンターソサエティとでも描きたくなるような、社会からこぼれ落とされた人々を救う場がノマドコミュニティのように、ぼくは感じました。
(ぼくはもちろんどちらのコミュニティも体験していませんので名言はできません。)
『ノマドランド』考察
〜日本人が「ノマド」に憧れるわけ
『ノマドランド』の主人公ファーンは、家を持たずにクルマに寝泊まりして、旅から旅へと非定住の暮らしを選んだ女性です。
映画では、同じようなノマドスタイルの仲間たちとの交流も描いています。
『ノマド』という言葉が日本で広がったのは、ここ数年のように思えます。
「一定の職場持たずにパソコン一つであっちこっち飛んで回るビジネススタイル」を「ノマドスタイル」「ノマドワーカー」なんてふうに、ライターやプランナーが使いまわしてずいぶん流行らせました。
まあ、そういう戦略で打ち出された「イメージ」に憧れて、スグにオレもワタシもとなるのが、良くも悪くもニッポンジンの気質です。その性癖気質を見事につかんだ広告戦略は見事でした。
しかし、そもそも、日本人は典型的な農耕民族です。
いわゆる一箇所定住型の気質です。
狭い国土ということもあるのでしょう。その地でなんとか頑張っていく、、、というDNAが流れているように感じます。
外へ打って出てゆくDNAはさほど濃くありません。
一方ヨーロッパ人やアメリカ人は狩猟民族の末裔。移動型気質です。
彼らのDNAには、「この地がダメならあっちへ行って頑張ってみよう」…という、アゥエイに出てゆく気質が旺盛です。
日本人の、自分たちが持ち得ない「狩猟民族気質に対しての憧れ」を、「ノマド」という言葉は絶妙にくすぐっているように思えるのです。
何かに憧れを持つということは、それ自体は悪いことではありません。
が、ノマドを現実以上に美化するような昨今の流れにはぼくは違和感を覚えるのです。
そしてその違和感の正体をはっきりと見せてくれたのが、『ノマドランド』でした。
『ノマドランド』では、帰るべき場所がない、という世界は、どこまでも荒涼とした世界なのかもしれない….これがぼくが得た考察でした。
〜「ノマド」=帰るべき場所がないことへの覚悟
先にも書きましたが、元々ノマドは遊牧民や流浪者を指す言葉だったわけだけど、そのうわべだけが日本では伝わってるかんじがぼくはします。
しかも今の日本では、「ノマドワーカー」のイメージが、どこか「自由なワークスタイル」のようにズレて伝わってるかんじがしてならないです。
主人公ファーンの孤独感はスクリーンからじわじわと染み出してきます。
その孤独感が、「ノマドワーカーにはそんな素敵な自由はないよ」と軌道修正してくれたように思えました。
『ノマドランド』ファーンの詩
劇中、ファーンは中盤で一人の若者バックパッカーと出会います。その彼に自作の詩を語り聞かせるのですが、その詩が良いです。
ここに紹介しておきます。
君は夏の日よりも 美しく穏やかだ
風が5月の蕾を散らし 夏の輝きは あっけなく終わる
太陽は時に照りつけ かと思えば暗く陰る
どんな美しいものも いつか衰える 偶然か 自然の成り行きによって
だが 君の永遠の夏は 色褪せず 美しさが色褪せることもない
老いた人の恋
映画の中では、多分60代の人間の恋もさりげなく描かれます。
ファーンは、ノマド仲間の友人から「一緒に暮らさないか?」と言葉をかけられます。
「一緒に暮らさないか?」というシンプルなセリフです。
しかしそれは「老いた人間が老いた人を好きになるということは『安住の地を探す』ということに他ならない、、、と、暗に語っていたように感じました。
ですが、ファーンは、彼からの申し出を断ります。
ぼくには、彼からのプロポーズは、「人はいつまでもノマドのままではいられない」という暗喩のように思えてなりませんでした。
『ノマドランド』とスタインベックの『怒りの葡萄』
『ノマドランド』を見ている途中、ぼくの頭をよぎったのは、文豪ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』です。(『怒りの葡萄』は1939年に映画化。1940年ピュリツァー賞受賞。監督は名匠ジョン・フォード/日本公開:1963年)
『怒りの葡萄』もまたロードムービーです。
どんなあらすじかというと、
「大農場経営企業によって、代々持っていた土地を奪われた農民たちが、一枚の求人チラシを頼りに一台のオンボロトラックで夢の大地カリフォルニアへと向かいます。
憧れの地カリフォルニアに辿り着いた農民たちを待っていたのは、しかし、豊かな生活ではなく希望をどこまでも先送りされる現実だった…。」という内容です。
『怒りの葡萄』は1930年、大規模資本主義の足音とアメリカ中西部で深刻化した砂嵐で、農地が耕作不可能になり旅立ちます。
『ノマドランド』はそれからほぼ80年後。リーマンショックで働く場所と暮らす家を奪われた人々が旅立つのです。
どちらの作品もラストはハッピーエンドではありません。また、アメリカの時代=社会からこぼれおとされてしまった人々が主人公です。
この二つの映画にぼくが似たものを感じるのは、偶然でしょうか?
『ノマドランド』も『怒りの葡萄』も共に、アメリカが掲げる大きな理想=星条旗と、その「ふるい」にかけられてしまった人々「ノマドワーカー」の声なき声が聞こえてくる映画でした。
当サイトで『怒りの葡萄』もレビューしていますのでよかったらご覧ください。
『ノマドランド』感想と評価にかえて
ノマドワーカーにドキュメントタッチで迫ったその距離感は、普通の映画とは異なっていて賛否分かれるところだと思います。
あえてカメラが主人公との距離をキープしつつ描いことにより、必要以上の情感を消し去っています。
ドキュメントタッチの映像から流れ出てくるのは、孤独感でしかありません。
しかし同時にその客観カメラが自然を映し出すと心象風景のごとく美しいのです。
なので、「物語」として観ると肩透かしを喰らうように感じます。
ネタバレになりますが、ラストシーンは主人公ファーンが、旅だった家に、町に一度だけ戻ってきます。
その家の裏庭から見えた荒野に絶句しました。
町が消えたことによって旅立つまで、主人公ファーンが毎日裏庭に見てきた風景は、茫漠とした荒野だったのです。
その荒涼とした時間は、ファーンの旅路を、どこまでも追いかけていくのではないか、、、
そう思わずにいられないラストに胸が締め付けられました。
ぼくの評価は、『ノマドランド』は現代版「怒りの葡萄」です…という一言につきます。
最後に心に残った台詞を二つ書いておきます。
「いろんなところで働いてるけど、基本はずっと旅よ。」
「いつかまたどこかで…と、サヨナラがない。それがノマドだ。」
そんな忘れたくないセリフが、他にもいくつも出てくる映画でした。
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