ネタバレレビュー『最後の乗客』評価~あらすじ感想考察・キャスト・エンドロール・試写会レポまで徹底解説|魂の救済を描く傑作

ヒューマン・ハートフル

♩映画レビュー『最後の乗客』 評価:星五つ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️♩

こんにちは!映画好き絵描きのタクです。今回は『最後の乗客』のレビューします。

この映画、単館公開が全国公開へと広がっている評判の映画です。

『カメラを止めるな!』や『侍タイムスリッパー』と同じくSNS口コミで評価が高まっています。

実はぼくは2023年春に仙台行われた最初の試写会で観て感動、気にかけていた映画でもありました。(なんで仙台だったかというと、監督が仙台出身だったから)

レビューは感想を書きますからどうしてもネタバレを含みますが、ギリギリのところで書いてみようと思います。

『最後の乗客』、内容は、東日本大震災と親子、亡くなった人と残った人の悔いと救いを描いたもの。仙台発・現地ロケの本編は55分という中編映画です。最近、長ダラ映画多い中、とても観やすいです。

監督は宮城仙台出身ニューヨーク在住の堀江貴。出演は冨家ノリマサさん・岩田華怜(元AKB48)さんほか。

サンディエゴ芸術映画祭で「最優秀インデペンデント映画賞」を受賞したほか、世界中の映画祭で受賞数は18冠と、群を抜いています。18という受賞数は、「文化と言語の壁を突き破った映画」であることを意味しています。また2024年第48回日本アカデミー賞にも『最後の乗客』がノミネートされました。

そのことは全国公開される前からすでに『最後の乗客』の内容の深さを物語っていると思います。(主演タクシードライバー役・冨家ノリマサさんの出演映画『侍タイムスリッパー』も同時期、単館から全国拡大中)

公開初日に監督が仙台の劇場に来たので、その舞台挨拶の様子もレビューします。

記事後半には、それに先立つ昨年2023年3月の『最後の乗客』仙台試写会の感想と出演俳優さんレポートもまとめてみました。



『最後の乗客』予告編

2024年全国公開版予告編はこちら↓

こちらは、レア!全国公開決定前のオフィシャル公式予告編です。

『最後の乗客』制作スタッフ・キャスト

スタッフ・制作・監督・脚本・編集:堀江貴/撮影:佐々木靖之/音楽:徳家”Toya”敦/ライン・プロデューサー:桝形徹

キャスト・岩田華怜(遠藤みずき役) 冨家ノリマサ(タクシードライバー遠藤役) 長尾純子(こころの母役) 谷田真吾(たけちゃん役) 畠山心(こころ役) 大日琳太郎(じいじ役) 徳家羊子(ラジオDJ役)




『最後の乗客』ネタバレレビュー・あらすじは?

舞台は東日本大震災後の宮城のどこかの海辺の町。
夜、海沿いの終着駅の前に一台の客待ちタクシーが停まっている。
運転席にいるのは、タクシードライバーの遠藤。
もう1人のドライバーが、気安く声をかけてくる。たけちゃんだ。
たけちゃんが言う。
「夜、若い女を拾うと行き先の浜町で消えているってよ」
被災地によく聞く幽霊話だ。
笑って聞き流す遠藤。
客待ちを諦めタクシーを出すと、程なく1人の帽子にサングラス、そしてマスク姿の若い女性が手を挙げる。
行き先は、たけちゃんが話していた浜町だ。
ふたたび車をスタートさせ客に話しかける遠藤の前に飛び出してくる人影が。
あわやと跳ねそうになったのは、母と幼い子の2人連れだ。
車外に出て2人に声をかける遠藤。
車内の女性客に目を向けると、帽子とサングラスが外れている。なんと女性は、東京の大学へ進んだはずの娘のみずきだった。

母と子も行く先は浜町だという。
遠藤はみずきに同乗を願い出るが、けんもほろろだ。
遠藤とみずきはぎくしゃくした父娘関係のまま進学を機にすれ違っていたのだ。

しかし、不思議なことにタクシーのエンジンがかからない。
停まった場所は深夜の街道から外れた脇道だ。

遠藤はみずきと親子と車に残し、街道まで助けを求めに出る。

残されたみずきと母親が言葉を交わしている。
その間に、幼い娘=こころは、どこからか自分を呼ぶ声を聞き、車中から姿を消してしまう。

慌てふためきこころを探す母とみずき。

一方、遠藤は街道で偶然にも同僚たけちゃんのタクシーに会い、故障した車に戻る。

母は不思議と東日本大震災慰霊塔の前にいざなわれ、呆然とした表情でタクシーへと戻る。

みずきは震災後使われていないバス停の前で、こころを見つける。

タクシーへ再び戻った4人。

みずきと遠藤はつい喧嘩腰となり、みずきは車を降り、一人歩き出し闇に消えていく。

すると、母親が遠藤に慰霊塔で見たことを話し出す。
それは遠藤が「最後に乗せた乗客が誰だったか?そしてどこで拾ったのか?」を思い出させる驚愕の言葉だった…。




『最後の乗客』ネタバレレビュー・感想考察です

新たな震災へのアプローチ

ぼくがこの映画を試写会で初めて観た時の、試写会場に向かう時の気持ちを今でも覚えています。
東日本大震災がテーマの中編…と聞いていたので、実は恐る恐るでした。
「ベタベタの映画じゃないといいな」
とか、
「学生さんのサポートもあって作った短編?学祭上映みたいな作品だっらヤだな」
そんなことも思っていました。

映画がはじまると、そんな不安は見事に覆されました。
脚本は磨かれ、映像も美しく、監督の意思が丁寧に織り込まれた作品でした。

映画は、冒頭、暗めの海、大きな波のうねりから始まります。
もちろん重なる波と遠くに黒く見える水平線は、東日本大震災の津波を暗喩しています。
が、言われなければ津波があったというテロップが流れるまで、気が付かないかもしれません。

ドラマを構成するのはわずかに5人の登場人物です。
主人公はタクシードライバー遠藤。
ドラマには順に、ドライバー仲間のたけちゃん、遠藤の娘のみずき、そしてひと組の親子です。親子は子供の名前が「こころ」としか明かされません。

『最後の乗客』は、一夜の不思議な出来事が描かれる映画です。

上映時間55分の妙

映画の舞台となるのは、「一台のタクシー」のわずか周囲数百メートルでしょう。
そして、多分、ほぼ深夜1時間から2時間ほどの短い時間帯の出来事となのです。

ということは、上映時間1時間弱のこの『最後の乗客』は、観客を同時進行的なリアルを感じさせるのです。

映画一般の「2時間前後」の尺にせず、1時間という中編の尺を選んだのは、制作にかかってくる経済的な問題や、配給先の交渉など、さまざまな理由があると思います。

しかし、逆に5人の登場人物たちの織りなすドラマを、ほぼ同じ時間軸でスクリーンに見せたことで、観客は最後まで画面に食いついていきます。

映画の時間軸が鑑賞時間と同じ、という触れ込みの映画には、過去、「全編ワンカット」でヒットした『カメラを止めるな!』や、2時間をワンカット風に撮った『1917』といった映画がありましたが、『最後の乗客』も、ほぼそれらの映画に近い時間軸の作りになっていることは見逃せません。

(実際には、ある日の深夜から翌日の朝までが『最後の乗客』で描かれる時間であり、回想シーンも含まれます)

時間とは実に不思議なマテリアルです。
時間の流れがなければ、人は「思いを乗せる」ことができません。

最近映画の尺はどんどん長めになっている傾向があります。
ぼくは2時間越える映画は、あまり好きではないのですが、そんな風潮のなかで、『最後の乗客』の堀江監督は55分で編集し見切った。
そのことは先に述べた「観客がドラマの時間に同時に思いを乗せる」ためにも、結果的にマルだったように思えます。

『最後の乗客』は、時間までも味方につけた映画だ、と、ぼくは思っています。

ちょっとクセある感想に流れてしまいましたので、ドラマ自体の感想に戻します。

『最後の乗客』のドラマ前半は、普通にぼくらが生きる世界を描いている…と思って、ぼくは当たり前にドラマを受け入れました。
ですが、後半から「あれっ?」という疑問が生まれます。

後半クライマックスに至っては、いわゆる「この世」と震災で亡くなった人たちが行き迷う世界がドラマの中で逆転していることに気づきます。

いわゆる、「どんでんがえし」です。

この「どんでんがえし」の気づいた感覚は、擬音にするなら「ひたひたザワザワドドン」と、まるで冒頭カットに印象的だった押し寄せる波の如くの、大どんでん返しでした。

詳しくは書きませんが、

命を落としても気づかない人達からは世界がどう見えているのか?

↑ドラマ前半はまさしくこれでしょう。

「現世」に生きているぼくらの祈りや思いは、どうあちら側に届いているんだろうか?

↑これが後半からクライマックスにかけて仕掛けられたメッセージ….とぼくは感じました。

ドラマ後半、迷いの世界にいるはずのないみずきが、なぜドラマに居て、他の三人と時間を共有しているのか?
その構成への答えを、ぼくはそう考えました。

いるはずのないみずきの存在と父親との対話は、みずきの「心の語りかけ」と「祈り」が迷える魂の世界に届いていることを映像化したのではないでしょうか。

『最後の乗客』の脚本は、そんな二つの視点を持ち、書かれたんじゃないかな…とぼくは思っています。(間違っていたらごめんなさい)




闇から光へ

「現世」に残された者…という言い方をよく聞きます。
「残される家族のことも考えてよ!」なんてベタなセリフもよくドラマで聞きますよね。

生きている事実は命があって良いことなはずなのに、「残される」って、どこかマイナスな響きがありませんか?ぼくは負の匂いを語感に感じます。

『最後の乗客』でも、生きているみずきが結果苦難を背負い、リストカットまでしている事実が明かされます。

そんなみずきの現実を知った父・遠藤は「一緒に行くか?」といざないますが、そこで見せるみずきの複雑な表情、泣き顔は「残された」という負の言葉を振り切る、マイナスへの決別の涙だとぼくは感じています。

その後、夜ではない明るい世界が開けます。
映画の中では初めての明るさです。
それは、監督がみずきの心の「闇から光へ」の転換を示したかった。
みずきは父親と魂の対話をしたことで、マイナスからプラスへと転じることができたんだ…と、ぼくは考えています。

めちゃくちゃ胸に迫るシーンです。このシーンに全てのカットの連鎖が集中していると、ぼくは言い切りたいです。



ネタバレレビュー・閲覧注意!最後の乗客は誰だったのか?

この章はネタバレになりますので、映画を見る方はスルーしてください。

タクシードライバー遠藤にとっての「the last passenger=最後の乗客」は、2人の親子であることは、劇中、しっかりと明かされます。

しかしぼくはこうも思います。

遠藤にとっての真の意味での最後の乗客とは、みずきだったのではないか、と。

震災で津波に飲まれこの世から消えた遠藤の迷える魂が、次の世界へと向かう=ラストパッセするために送り役に来てくれたのが、娘のみずきだった、と。

父にとっての「最後の乗客」は、最愛の娘だったと、ぼくは思いたいです。

閲覧注意!舞台装置タクシーと英題『The Last Passenger』の意味深読み

この章もネタバレになりますので映画を見たい方はスルーしてくださいね。

監督は、舞台装置に「タクシー」を選びました、映画のテーマ、流れから逆読みしても「これしかない」という舞台装置だとぼくは感じています。

タクシードライバーの父はすでに津波で命を落としていたわけですが、その理由は、津波警報が響く中、ひと組の親子=こころと母を、乗客として乗せたことにありました。

「誰でもが乗れる」「行きたいところへ確実に連れて行ってくれる」乗り物はタクシー以外にあり得ません。

逆に言えば、タクシードライバーは、「手を挙げた人は乗せる」「言われた目的地へ確実に届ける」のが仕事です。

タクシーという車の「舞台装置」は、密室という緊張感をも作り上げています。

『パリタクシー』というタクシードライバーと客の交流を描いた映画でも、狭い車内でのドラマ展開に、観客は一台のタクシーに同乗している感じになりましたが(少なくともぼくは)、『最後の乗客』でも同じようにぼくは緊張感と共に「同乗」していました。

ちなみに「passenger」の語源をたどると、古フランス語の「passagier, passageor」(現代フランス語では「passager」)に辿り着きます。
それは、「通りすがりの人」という意味も持っているとのこと。

誰でもが、現世は通りすがりの「passagier」(仏)なんだ…と考えれば、タクシーはその交差点。
いくつものドラマが生まれるところだと思います。

「passenger」の語源をたどってみたことで、監督が現世と迷える世界を交差させた舞台にタクシーを用いたのは必然だったのではないかと改めて思いました。



『最後の乗客』エンドロールの写真は?

「やられた、、、」と思ったのは、映画のエンドロールでインサートされている、汚れ消えかけたような不思議な写真たちです。

この写真は、津波で流され瓦礫の中から見つかった写真を洗浄し修復した写真たちなんですね。

堀江監督は、高校の同級生が写真を洗浄修復するボランティアに関わっていたことで、そんな写真たちを知ったそうです。

笑顔で遊ぶ家族やカップルが写されたそんな写真たちでエンドロールを締め括ろうとは堀江監督自身、最初は思っていなかったそうです。

エンドロールの編集時に、映画のテーマのひとつ「忘れ去られゆく記憶」を刻み込むのにぴったりだと思いつき、編集に加えたといいます。

「引き取り手が現れなかった写真たちは、観客に震災の現実を伝えてくれるのでは?」と、監督は語っています。

(写真は特定非営利法人「おもいでかえる」が収集修復したもので、総計16万枚を洗浄修復。今も5万枚が仙台市役所に保管されているそうです)

 

『最後の乗客』ぼくの評価は星五つ🌟🌟🌟🌟🌟

映画が終わった時の感覚が、良い短編小説を読んだ時の読後感と似ていました。

いろんな方に観てほしい映画です。



『最後の乗客』配信は?

記事執筆の現在は劇場公開中につき、未定。配信レンタル等の詳細はまだ不明です。



全国公開初日・堀江貴監督舞台挨拶の様子(仙台・フォーラム)

全国公開初日、私は仙台のフォーラム仙台での監督舞台挨拶の回(10月11日・18時40分)をチケット予約、早速観てきました。

上映後に監督が舞台に登壇、映画に対する様々な想いを語ってくれました。

監督は震災当時ニューヨークにいたわけですが、震災直後のニューヨークでの活動のことや、その時に出会った一人の女性からの「支援が当たり前という風潮が辛かった」という言葉が映画作りへの起爆剤となった…という言葉が印象的でした。

他に挨拶でトークしてくれたのは以下のことです。

・岩田華怜さんとの出会いについては、「テスト前は脚本イメージと違うと思っていたが、互いの時間が擦り合わせられた短い時間での演技テストで、主役みずきがそこにいた」と確信した話。

・仙台ロケがコロナで中止延期になったにもかかわらず、撮影再開の時にスタッフキャストが9割が再集結してくれた奇跡的な進行。

・ロケ現場での不順な天候に悩まされ続けた五日間から、ラストシーンの浜辺での朝日撮影では、そんな苦労を覆すような美しい光を撮れたこと。

・劇中登場する小道具「たまご焼き入りおにぎり」は実は堀江監督のお母様が作ってくれた思い出のおにぎりだったというネタバレ告白から、おにぎりアイテムを出すことで、ニューヨークでお米と海苔の消費を増やすきっかけになれば…との震災後の流通拡大への想いまで話してくれました。

質問コーナーでぼくの不躾な質問にも快く答えてくれました。

ぼくの質問は「エンドロールに「翻訳者」がクレジットされていますね。日本語を英語とフランス語への翻訳は、微妙なニュアンスが難しいと思います。そのご苦労はございましたか?」

対する監督の答えはこうでした。

「いい質問をありがとうございます。実は翻訳は、妻と娘に担当してもらいました。2人それぞれ違った感性を持って訳してくれた言葉を、もっとこんなニュアンスがほしい、とか、直訳だとそうなるけど違った言い方はないかな?…といったキャッチボールで翻訳原稿を仕上げて行ったのです」

丁寧に質問に答えてくれて、嬉しかったです。

質問コーナーのあとは全員で写真撮影。

その後、劇場入り口に席を移動してサイン会でした。監督は時間ギリギリまでサインに応じてくれましたよ。

東京で翌12日にあった舞台挨拶では主役の俳優さんたちも登壇したようです。

その模様はEiga Colorsさんのサイトで紹介されています。

冨家ノリマサ、涙をぬぐい「頑張って生きてるんだな」『最後の乗客』公開記念舞台挨拶 – シネマカラーズ
『最後の乗客』の公開記念舞台挨拶が行われ、冨家ノリマサ、谷田真吾、畠山心、堀江貴監督が登壇した。 本作の内容は、東北の小さな街の駅のロータリーで客待ち駐車をしているタクシードライバーの遠藤(冨家ノリマサ)とたけちゃん(谷田真吾)は、ドライバ...

舞台挨拶の堀江監督

ギリギリまで、笑顔でサインに応じていました。

最後の乗客舞台挨拶。堀江貴監督と観客。フォーラム仙台にて10月11日

挨拶終わって最後に観客席に向かって記念撮影



『最後の乗客』上映館情報

全国順次公開予定の上映館はこちらです。(公式サイトより2024年9月12日現在の情報です)

Screenshot

 

『最後の乗客』2024年3月、仙台先行上映の記録

『最後の乗客』は全国公開に先立ち、地元仙台でも2024年3月に先行上映されました。

過去情報となりますが、以下にデータをまとめておきます。

・公開映画館/フォーラム仙台チネラヴィータ

・公開日3月8日〜3月14日。8日から10日は、監督の舞台挨拶。

・先行上映会も2月29日に、同館で開催。




『最後の乗客』仙台先行上映会のプレスリリース

なんと、取引先の M氏が『最後の乗客』制作に関わっていました。

M氏から仙台上映のプレスリリースが届きましたのでアップしておきます。




コメント

  1. モスラの息子 より:

    2015年春、ももクロ主演映画『幕が上がる』を観るため、一関から名取まで車で行きました。映画に大満足しての帰り道、とある交差点で、ここを右折したら荒浜に行けるな、行ってみようかな?一瞬そんなことを思い、いや、そんな野次馬根性で行くべきじゃない、と思い直し、行かなかったことがあります。この映画、荒浜近辺で撮影したんですよね?
    震災後、仕事でマスコミの人を乗せて、大船渡まで行きました。ある公民館に、津波に流されて持ち主がわからなくなった写真が並べられていて、沢山の人たちが縁ある写真はないかと探しに来ているのをこの目で見ました。
    仕事柄、被災地には何度も行き来した。あの被災地の光景はいまだに頭から離れない。ここで多くの人が亡くなった。皆さん思い残したことがたくさんあっただろうに…。
    なんかね、この映画でそんなこんなを思い出し、涙が止まらなかった。
    亡くなられた方々も、生きて今を生きる方々も皆さんどうか
    心穏やかでありますように。私にはそれしか言えない。

    • タク タク より:

      モスラの息子さん、こんばんは。
      荒浜行きは、あえて物見遊山で行ったとしても、想い馳せないよりはずっとよいと思いますよ。
      ぼくも様々な震災関係の絵の仕事をしてきましたが、正直、どんな仕事も「楽しんで」はできなかったです。しかし、他の仕事よりエネルギー必要だったのも確かです。
      『最後の乗客』の関係者も同じだったと思います。
      一度、モスラの息子さんの当時の話をお聞きしてみたいですね。

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