ドイツの映画、『ありふれた教室』を見ました。ドイツ語原題はDas Lehrerzimmer。日本語に訳すなら「職員室」です。
ドイツの普通の中学校が舞台です。学校で起きた盗難事件を巡って、主人公の新任教師カーラと同僚、そして生徒=子どもたちの息が詰まるようなドラマを展開します。
主役の新任教師カーラ・ノヴァクに、レオニーベネシュ。カーラを混乱に陥れる子役オスカーをレオナルト・シュテットニッシュ。
監督脚本は、イルケル・チャタク。
気がついたら主人公と同化して、過呼吸寸前、最後までおののいていました。
『ありふれた教室』どんな映画?
第73回ベルリン国際映画祭で上映されW受賞を果たしたのを皮切りに、ドイツ映画賞主要5部門受賞、アカデミー賞国際長編映画賞ノミネートなど、世界の映画祭を席巻。教育現場のリアルな現実に根ざし、世界中の学校やあらゆるコミュニティーでいつ暴発しても不思議ではない“今そこにある脅威”を見事にあぶり出す。現代社会の縮図というべき“学校”を舞台に描く、極限のサスペンス・スリラーが誕生した。
これが公式サイトのイントロダクションです。
サスペンススリラーと銘打っていますが、映画の中に安心して見れるタイプのサスペンスではありません。
描かれるのは、「学校」という普通に「ありふれた」閉ざされた空間で、当たり前に起こりそうなトラブルから次々派生しては瓦解していく平穏な日々です。
論理的で言葉で戦う思考を叩き込まれるんでしょうね、ドイツの教育は。
日本の学校とは違うんでしょう。それは傍に置いておいてもまるでオセロゲームのような展開に、胃の腑がじわっと掴まれるような一時間半でした。
感想より、考えをまとめるためにこのブログ書くことになりそうです。
多分一気には考えがまとまらないだろうし、時間が経てば経つほどこのハクハク感は消えていきそうなので、たとえ中途半端でも少しずつ記事をアップしていこうと思います。
いつもとは違ったブログの流れ、ご理解ください。
『ありふれた教室』あらすじは?
新しい中学校に赴任してきた若手女性教師カーラ。
彼女は1 年生のクラス担任となる。
そんなある日、校内で盗難事件が起こる。
犯人としてカーラのクラスの教え子が疑われるが、カーラは正義感から校長らの強引な調査に反発。自身で盗難の現場を抑えようとノートパソコンのカメラで職員室を隠し撮りする。
そこにはある人物が盗みを働く瞬間が記録されていた。学校事務職員らしき証拠が写っていたのだ。
事務職員はカーラの受け持ちの子、オスカーの母親だった。オスカーは、カーラがその数学的な才能に目をかけていた子だった。
オスカーとの関係も悪化、カーラのやり方や学校の対応は保護者の批判を浴び、連鎖的にそれらはカーラへの生徒の反乱、教師間の対立へと深刻化。
一つの出来事が次のトラブルを招き、カーラは四面楚歌となっていく…。
『ありふれた教室』感想
胃の腑を延々掴まれるリアルな怖さ
学校を具体にした映画やドラマってたくさんありますけど、『ありふれた教室』みたいな内容のドラマは見たことありませんでした。
盗難事件が発端になって、行動の結果が次々とギスギスした連鎖を生んでいくんです。
目の前に広がる現実は、出来事の選択の連続だ、ってことくらいは、ぼくにだってわかってます。
そんな「選択の先に広がる現実」を、わかりやすい言葉で言うなら「成り行き」といいますよね。
『ありふれた教室』は、延々と胸を噛まれるような「成り行き」がつづきラストまで一気見でした。
スリラーと紹介されているけど、第一級ホラースリラーですよ、これは。
「ぎゃー!」とか「角曲がってびっくり!!」的なスリラーではなく、良かれと思ってやったことの歯車がどんどん狂っていくんです。
「さて、こんなシチュ、あるよな。お前ならどうする?」って判断迫られるような怖さです。
怖い学校は社会の縮図
『ありふれた教室』見ながら思ってたのが、そいうえばぼくは学校って嫌いだったな…でした。
子どもながらに、あの校門の中で完結してる感じ=閉塞感が嫌いだったのです。
映画のカメラは、僕が感じてた閉塞感みたいなものをなんていうか、うまく捉えてるんでしょうね。
さらにそのカメラは、カーラや教師たちからほんのちょっとだけ距離をおいて、客観視してる感じです。
客観視ってなんやねん!って突っ込まれますね。
うーん、無関心な距離…と言い換えればわかりやすいかなあ、、、。やなヤツの近くにいなきゃなんない時、バリア貼ってる感じの距離、といってもいいかも。
「無関心な距離って、怖さを倍盛りさせるんだな!」って思いましたよ。
そして音楽もめちゃくちゃ怖かったです。
別にいかにも怖いぞ的旋律じゃあないんです。弦をピン…ピン…って静かにつまびくだけのきわめて単調な音。それが延々と続くんです。まるで映画『関心領域』の音楽(これも思い出すだけで怖さがぶり返してくる)ともリンクするような怖さなのです。
むむむ、、、感想が「怖さレビュー」から始まっちゃったぞ….,。
怖さといえば、『ありふれた教室』で描かれるそれは、「孤立無援、四面楚歌の怖さ」です。
次は「孤立無援、四面楚歌の怖さ」について触れてみます。
まるでみているこちらがじわじわと過呼吸に陥るような怖さでした。
四面楚歌の怖さ
日常の社会生活で、孤立無援となった怖さ、、、。社会生活を営んでる人ならば多かれ少なかれ誰でも経験あるんじゃないんでしょうか? 少なくともぼくは、過去、ありました。
そんな体験した人がこの映画を見たら、怖さ倍増ですよ、きっと。
カーラを追い詰めていくのは年端もいかない中学生です。
しかしその追い詰め方がとことん論理的なんです。
そして子どもたちの論理スキルは、ドイツの教育が子どもたちに植え付けたものだってことも、映画の中ではしっかり伏線が張られています。(日本人のぼくからみたら、ドイツ教育って、こんなスタイルなんだ!って驚くくらいでした)
主人公カーラが、そんな孤立無援、四面楚歌になっていく過程は、ほんとリアルです。
しかし、映画のキモは主人公が、四面楚歌の中で、どう立ち向かっていくのか?でもありました。
怖いけど、弱いけど、凛
そうなんです、そんなギリギリの孤立無援感が、主人公カーラの人としての弱さ、そしてそれ以上に強さを逆に凛と際立たせていました。
ぼくは、カーラが周りに味方がほぼいない中で、自分の論理を曲げない姿に、ある意味ドイツ人的な倫理観を見た気がします。
日本人は、情、義に救いや拠り所を求めて自分を律するところがあるように感じます。
でもドイツって、違うんですね。
あくまで、己を律するのは自分が掲げる論理だ、ってことがヒシヒシ伝わってきました。
ドイツやヨーロッパって、笑顔で相手を論破できなければ生き抜いていけない社会なのかもな、、、と、これはぼくの感想です。
ぼくは、カーラがまるでチェスゲームのように追い詰められ、過呼吸に陥りながらも非常に論理的に周りに接し、四面楚歌孤立無援に立ち向かっていく姿に感情移入してしまい、最後まで苦しい息のまま席を立てませんでした。
カーラとオスカーのラストが意味するもの〜ネタバレ閲覧注意!
以下は、クライマックスのネタバレになりますので、映画を見たい方は読まないでくださいね。
映画の軸は、教師カーラと、数学的才能=論理的思考の長けた男子生徒オスカーの、まるで駆け引きのような関係になっていきます。
駆け引きと言ってもカーラは受ける側です。仕掛ける側がオスカーです。
オスカーは自分の母親が盗難の嫌疑を受けたことに反発し、嫌疑をかけた学校とカーラに論理的な反撃を仕掛けます。
結果、オスカーは退学となりますが、退学となったあと、学校に現れます。
その場でのカーラ含めた学校側とオスカーとの攻防には息を飲みました。
オスカーは一言も発しません。
対するカーラの姿勢も、ある一線から態度を変えます。
論理には論理で返す。無言には無言で返す。ただし面と向かったまま。
そのシーンのインパクトは、それまで映画に感じていた「怖さ」を静かに解いていきました。
解いたと言ってもエンディングは開放型エンディングです。カーラのその後と盗難事件の犯人は誰だったのか?を明かさずに終えます。
しかし、ラストのオスカーのカットの姿からぼくはこう言われた気がしました。
「チェスでキングを取ったのはオスカーか?それともカーラか?それとも???そこを観客の皆さんは考えてみてください」と。
『ありふれた教室』評価
僕の評価は星4つ半⭐️⭐️⭐️⭐️✨です。
半分かけた理由は、僕がドイツ人ではなく日本人だから。ドイツ人的な思考と論理はあたまでは理解できるけど、心がどこかで拒否していたからです。その半欠けです。
ちなみに『ありふれた教室』は、公式サイトではサスペンススリラーと紹介されていました。でも僕が受けた感じはちょっと違っていました。あえていうなら「問題提起型のシリアスドラマ」という感じでしたよ。
すごい映画をありがとうございました。
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