考察評価『戦場のピアニスト』ネタバレラストまで〜なぜドイツ将校はシュピルマンを助けたのか?ホーゼンフェルト大尉のことまで

戦争・歴史・時代

『戦場のピアニスト』考察評価:星5つ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️〜ホーゼンフェルト大尉はなぜシュピルマンを救ったのか?〜

『戦場のピアニスト』は(原題: The Pianist)第二次世界大戦におけるポーランド・ワルシャワを舞台とした、ホロコーストから免れたひとりの実在のユダヤ系ピアニスト・ウワディスワフ・シュピルマンの半生を描いた映画です。(フランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作映画。2002年公開作品。)

監督は、自身もワルシャワゲットーの体験を持つ、ロマン・ポランスキー。主演はエイドリアン・ブロディ。彼はこの作品でアカデミー主演男優賞を受賞しています。

ピアニスト・シュピルマンの著作をもとに映像化した映画作品ですが、事実は小説よりも奇なり。ラシュピルマンの命救ったのはドイツ国防軍将校でした。

この記事では、映画公開後にわかった将校ホーゼンフェルト大尉の人となりも徹底レビューしていきます。

30秒で知る『戦場のピアニスト』ストーリー

1939年、ポーランドのワルシャワ。ユダヤ人たちはナチスによってゲットーへ移住させられる。

主人公シュピルマンは、強制収容所送りを奇しくも免れ、隠れ家を転々、逃亡生活を送る。

ワルシャワ蜂起は失敗。街は灰燼に帰す。廃墟に隠れ命を繋ぐシュピルマン。ある日シュピルマンは、ドイツ人将校ヴィルム・ホーゼンフェルトに出会う。

ホーゼンフェルトはシュピルマンの才能に感銘を受け、彼の命を救う。

『戦場のピアニスト』感想考察

公開時、『戦場のピアニスト』を履いて捨てたぼく

この映画ほど、見た年齢で評価が変わった映画はないです。

正直に言いましょう。公開時に劇場で見たとき、僕が思った感想は、「見てらんないよ。ただただ逃げ回ってるだけじゃないの、、、」といった、ピアニスト・シュピルマンへのほぼ批判めいた感想でした。

そう感じた理由は、今はわかっています。

映画は、どんな環境にいるかで良くも悪くもなる

当時僕は、とある仕事グループから抜け出て、そのグループと戦っているただ中にありました。周囲はほとんど敵ばかりの四面楚歌。そんな状況で見た映画が『戦場のピアニスト』でした。

僕は戦争映画は好きです。

ユダヤ人のワルシャワゲットーからワルシャワ蜂起と、そんな戦う舞台での映画なので「主人公は戦いぬく」という勝手な期待を持って映画館に行ったんだと思います。

とにかく日々眉毛が吊り上がっていた当時の僕にとって、「逃げ回る弱い表現者」を見るのがたまらなくイヤだったのでしょう。

表現者は「シュピルマンが許せなかった」

表現者って「自分が1番と思いこまないとやってられない」仕事でもあります。これは表現者でなければ、決して理解できない感覚だと思います。

当時ぼくは30代。「自分が1番」とソリッドに思っていました。そんな僕でしたから、「逃げる表現者シュピルマンの姿が許せなかったんだ」と思います。

ぼくは、劇中のワルシャワ蜂起で倒れてゆく市民の姿、戦っていく人々へは強いシンパシーを感じ、感情移入できました。

しかし、、、、逆に、どこまでも人間らしい心でホロコースト迫る廃墟のワルシャワを生き抜いたピアニストには、悲しいながら、残念ながら、恥ずかしながら、シンパシーを感じることができなかったんですね、、、当時の僕は、、、。

なので、公開当時、『戦場のピアニスト』を見終わったぼくは、「大したことない映画だったな…」とあっさりと記憶の彼方に放り投げたのでした。

公開から四半世紀〜ガラリ変わったぼくの評価

この記事を書いている現在は2025年です。ちょうど第二次世界大戦が終わって80年という節目にあたります。ぼくはワルシャワ蜂起を調べるきっかけがあり、ふと、『戦場のピアニスト』を再度見てみよう、と思いました。

「つまらなかったよなぁ、不甲斐ない映画だっとよな…」と思いつつです。

ところが2度目の今回、戦場のピアニストは、全シーンがワンカットワンカット、重厚な言葉を持って、僕に丁寧に語りかけてきました。

そして、カットの隅々まで考え抜かれている凄さに圧倒されていたのです。

最後は、感動が押し寄せて、茫然なっていました。

この映画を見ずして死ぬなかれ

昔見たときにふがいないと思ったシーンもわかりました。シュピルマンが「ぼくは逃げる」と、決心を口にするシーンです。

映画は、そのセリフを境に「前と後に分かれる」、分水陵のような重要セリフです。

昔はそのカットから延々と、ぼくは上から目線で「不甲斐ないシュピルマン」を見下していたんだと思います。あぁ恥ずかしい。

当時ぼくがまだ若造で、クリエイターとして戦闘モードだった当時、「逃げる」とか「隠れる」とか「負ける」とか、そんな事は映画の中にも許せないほど僕は小さかったし、弱い存在だったんだと思います。

こういう人間(昔のぼく)に今のぼくが会ったらどう思うか?

「傲慢で卑怯なやつ」ですよ。

逆に「逃げることを選択した人間は強い」と今のぼくは思っています。

さてさて、そんなふうに、ぼくも少しは大人になったのか、今回四半世紀を経て見た『戦場のピアニスト』は、まるで「新作」を見ているような感覚でした。

ずばり感想評価を言っちゃいます。

「この映画を見ずに死ぬなかれ」。

ちょっとオーバーかな。

いや、オーバーなんかじゃない。

それくらい『戦場のピアニスト』には普遍的な破壊力があります。

『戦場のピアニスト』ネタバレあらすじ〜ラストまで

以下の詳しいあらすじはネタバレを含みますので、映画を見たい方はスルーしてください。

wikipediaより転載します(一部改稿)

1930年代後半、ポーランドのワルシャワ。ユダヤ人、ウワディスワフ・シュピルマンはピアニストとして活躍していた。しかし1939年9月、その生活が一変する。第二次世界大戦が勃発し、ナチスドイツはポーランド侵攻を開始、シュピルマンがスタジオで録音をしていたラジオ局はドイツ空軍による突然の爆撃を受け被害を受ける。

なんとかスタジオを脱出したシュピルマンは混乱の中で友人ユーレクの妹ドロタと出会い、以降、僅かばかりの友好関係を築く。帰宅した彼は、イギリスとフランスがドイツに対して宣戦布告をしたことを海外のラジオ放送で知り、戦争は早期に終結すると信じて家族と共に喜ぶ。

しかし、状況は好転する事がなかった。ワルシャワはドイツ軍に占領され、親衛隊と秩序警察による過激な弾圧によって、ユダヤ人の生活は悪化してゆく。ダビデの星が印刷された腕章をつけることが義務付けられ、喫茶店や公園への立ち入りも制限される中、少しでも目立った行動をとるユダヤ人はナチス親衛隊の暴力にさらされるのだった。1940年後半には、ユダヤ人たちはワルシャワ・ゲットーに押し込められ、飢餓、迫害、そして死の恐怖に脅かされた。

そんなある日、シュピルマンとその家族はその他多くのユダヤ人と共に親衛隊の命令で戸外に集められ、財産を取り上げられる。ほどなく彼らは絶滅収容所行きの貨物列車に乗せられるが、シュピルマンだけは知り合いのユダヤ人ゲットー警察署長ヘラーの機転で救われ、その場から逃れる。

ひとり残されたシュピルマンは、移送されずに労働力として残された成人男性たちに混じり、ゲットー内で強制労働を課せられる。ここでシュピルマンは、ドイツがユダヤ人抹殺を計画しているらしいこと、そして生き残ったユダヤ人たちが蜂起の準備をしていることを知る。

シュピルマンは慣れない肉体労働やドイツ人警察官から加えられる暴力に耐え切れずに倒れてしまうが、仲間の配慮で倉庫番や食料調達の仕事に回される。シュピルマンは蜂起への協力を志願し、食料調達の立場を利用してゲットーへの武器の持ち込みを手伝う。そんなある日、食料調達のため街(ゲットー外)に出かけたシュピルマンは市場で知人女性ヤニナを見かけ、彼女を頼ってゲットーの外に脱出することを決意する。

ゲットーを脱出したシュピルマンは、ヤニナとその夫アンジェイが加わる反ナチス地下活動組織に匿われて、ゲットーのすぐそばの建物の一室に隠れ住む。ほどなくユダヤ人たちのワルシャワ・ゲットー蜂起が起こり、シュピルマンは部屋の窓からドイツ側との激しい交戦を目の当たりにするが、蜂起は鎮圧され、ゲットー内の大半の人が殺される結果に終わる。

その後の1年で、ワルシャワの状況は一層悪化する。ヤニナとアンジェイが捕まったため隠れ家でのハンドリング役だったマレクも逃亡。一人残されたシュピルマンは隣人に存在を気付かれ、隠れ家から逃避しなければならなくなった。マレクから緊急時に見るよう手渡されていたメモに書かれていた住所の家を訪ねると、姿を現したのはドロタだった。

シュピルマンはドロタの夫ミルカに匿われ、監視の目の盲点を突くため、ドイツ当局が利用する病院や警察署の向かいにある隠れ家を提供される。しかし連絡員からの食料差し入れが滞り、栄養失調で死にかけるシュピルマン。ミルカ一家はドロタの実家がある郊外に避難する。

1944年8月、ポーランド人の抵抗勢力は武装蜂起を起こす。ワルシャワ蜂起だ。シュピルマンは今回も隠れ家の窓越しに事態の推移を見守るが、この武力蜂起もまたナチスドイツに鎮圧され、ワルシャワは報復として完膚なきまでの破壊を受ける。砲撃・放火やポーランド人狩りから逃げ惑うシュピルマン。廃墟と化した都心の中で彼は完全に孤立無援となる。

ある日、廃墟の中に立つ一軒家で食べ物をあさっていたシュピルマンは、ドイツ陸軍将校ヴィルム・ホーゼンフェルトと鉢合わせしてしまう。シュピルマンを見つけたホーゼンフェルトはシュピルマンがピアニストであることを知るや、1階の居間に残されていたピアノにいざない、演奏してくれと頼み込む。

生き延びるために、数年間にわたり目の前にピアノがあっても触ることもできなかったシュピルマンだが、彼が弾くショパンの「ノクターン・ハ単調」が廃墟の街に流れる。ホーゼンフェルトはその見事なピアノの腕前に感動し、その一軒家に指揮司令部を設けつつ、周囲の目を盗んでは屋根裏部屋に潜むシュピルマンに食料を差し入れる。

やがて砲声が激しく響くようになり、ワルシャワがソ連軍の手に落ちるのは時間の問題となってきた。ドイツ国防軍将校ホーゼンフェルトは、シュピルマンに官給品のコートと食料、そして「生きろ」との言葉を渡して、指揮司令部から撤退する。

しばらくして、拡声器でポーランド国歌を放送する1台のトラックが通り、次いでポーランド軍が現れた。ホーゼンフェルトからもらったドイツ将校のコートを着込んだシュピルマンは、ソ連兵たちから誤射されるが、ポーランド人であることが辛うじて伝わり、彼の逃亡生活はようやく終わりを告げる。

終戦後、ポーランド国内のユダヤ人収容所で、ひとりのバイオリニストが開放される。そのバイオリニストに捕虜となったホーゼンフェルトが声をかける。「ピアニストのシュピルマンを知っているか?私は彼を助けたものだ。彼に連絡をとってほしい」

しかし監視のソ連兵が割って入ったため、バイオリニストはそのドイツ人の名前を聞き取ることができず、その場を離れてしまう。

戦後、シュピルマンはバイオリニストとその収容所を訪れる。しかしホーゼンフェルトの痕跡を示すものは何も残されていなかった。

クライマックスはシュピルマンが演奏する大ポロネーズで締めくくられる。

字幕ではホーゼンフェルトが1952年にソ連の強制収容所で死去、そしてシュピルマンが2000年に88歳で死去したことが示され、幕となる。

『戦場のピアニスト』「なぜ?」と「その後」をひも解く楽しみ

『戦場のピアニスト』は、映画だけで完結させるには、非常にもったいないコンテンツです。

というのも、あらすじにも書いてありますが、ドイツ国防軍将校ホーゼンフェルト大尉の存在が、シュピルマンの命を救ったと言っても過言ではありません。

そのホーゼンフェルト大尉の人となりが、映画公開から十数年経った2017年に一冊の本として出版されたのです。タイトルは『「戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校・ヴィルム・ローゼンフェルトの生涯』

この本は白水社から出版されましたが、残念ながら絶版です。しかし図書館にはあると思います。ぼくは古本で求めました。

『こんなにも尊くも気高い精神を持ったドイツ国防軍将校がいたのか?シュピルマンはホーゼンフェルトの存在がなければ、歴史から消えていたに違いない、、、』

これがぼくが本を読んだ感想でした。

『戦場のピアニスト』を映画で観る→図書館に行く→『「戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校ヴィルム・ローゼンフェルトの生涯』を借りる。→読む、、、

たった一冊の本を読むだけで、『戦場のピアニスト』の世界が数倍に広がり、また、ドイツ兵にもユダヤ人を救った人がいたんだ、、、という、今まで「もしかすると、そんなひとも、もしかして万が一いたんじゃないかな、、、」という淡い憶測が、衝撃の事実として目の前に広がるんです。

※注 『「戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校ローゼンフェルトの生涯』は白水社から2017年に出版されました。出版社に直接在庫を問い合わせましたが、残念ながら絶版で再販予定はないとのことです。 Amazon等オンラインネットショップでは中古で高値になっていますが、2025年現在、古本入手可能です。

『戦場のピアニスト』ドイツ将校はなぜシュピルマンを助けたのか?

ホーゼンフェルト大尉の人となりやバックボーンは映画では描かれませんね。それもそのはず、まだ映画が作られていた2000年ごろはホーゼンフェルト大尉の研究は進んでいなかったのです。

その後、ホーゼンフェルト大尉の研究が進み、ホーゼンフェルトが妻や家族と交わしていた膨大な手紙や書簡が発見されたことで、「ホーゼンフェルトがなぜシュピルマンを助けたのか?」がわかってきました。

ホーゼンフェルト大尉は、実はシュピルマン以外にもユダヤ人やポーランド人の命を救っています。将校としてその行為はゲシュタポに捕えられてもおかしくない「命の救出」でした。

なぜにホーゼンフェルトが、そこまでして多くの命を救ったのか?

答えは、数多く残された手紙文から浮かび上がる、彼の「人としての徳」としか言いようがありません。

彼は軍人であるとともに、教師でもありました。また妻と家族を大事にする父親でもあり、経験なクリスチャンでもありました。そんな彼のバックボーンは、人や人種を何かの枠にはめたり、蔑んだり見下したりという行為を、断固として却下すべきものとなっていきます。

妻アンネマリーとの書簡や日記から立ち上がる彼の肖像は、歴史の行末を冷静に見て、なおかつ己を律した凛とした姿です。

以下に、彼の人となりが浮かび上がってくる文章を、書籍『「戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校ヴィルム・ホーゼンフェルトの生涯』から抜粋しておきます。

「我々はややもすれば、自分を責めず、他を咎めがちだ。、、、、ナチスが権力を座についたとき、それを阻止しようとしなかった。何もしなかったのだ。我々の理想を欺き、個人の自由や民主主義と宗教の自由と言う理想も、欺いた労働者は追従し、教会も傍観するだけだった。中産階級も指導的インテリ層もあまりにも臆病だった。労働組合が潰されるのをただ見ていた。様々な宗派が抑圧されているのも黙認した。やがて、新聞でもラジオでも自由な発言ができなくなった。そうやって、我々は自ら戦争への道に飛び込んでいったのだ。」(ワルシャワ日記、1943年7月6日)

 

ある日、スポーツ施設近くのポーランド協会を訪れると、ちょうど子供たちのためのミサが行われていた。ホーゼンフェルトはすぐに、子供たちに取り囲まれた。スポーツ広場で彼を見知った何人かは挨拶に来た。「彼らは私を見ると歓迎してくれたある少年は、教会堂を駆け抜けてきて、私のそばに座りずっと笑顔を向けていた。」ポーランド人の篤い信仰心は心に響いた。「信心深い人々の経験な問いは、なんと居心地の良いものだろう。全てが自由で自然に行われた。」

ワルシャワ蜂起が失敗し、街が灰燼に帰した時の、ホーゼンフェルトのメモが残っています。

「ゲットーはいに最後まで残っていたユダヤ人住民も、とうとういなくなった。親衛隊の舞台長が、燃える家から飛び出してきた。ユダヤ人を撃ち殺したと自慢していた。ゲットー全体が焼け跡になっている。我々はこうまでして勝利したいのか。人でなしだ。こんなおぞましいことをしたら、戦争は負けだ。とんでもない恥をさらした。どんな罵声を浴びせられても仕方がない。我々は慈悲に値しない。みんな共犯だ。恥ずかしくて街を歩けない。ポーランド人は皆、我々に唾を吐きかける権利がある。毎日ドイツ人兵士が撃たれている。自体は悪化するだろうが、文句は言えない。すべて我々のせいなのだから。」

残されたメモからは、ワルシャワ蜂起を目の当たりにしたドイツ将校ホーゼンフェルトのやるせない慟哭が聞こえてきます。

『戦場のピアニスト』シュピルマンを救ったドイツ将校のその後

映画を見た誰もが、「シュピルマンを救ったホーゼンフェルト大尉が、その後どうなったのか?」知りたくなるに違いありません。

書籍『「戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校ヴィルム・ホーゼンフェルトの生涯』に細かく書かれていますので、その答えを書いておきます。

ソ連軍の捕虜となったホーゼンフェルト大尉は、将校でもあったので、あちこちの捕虜収容所を移送させられました。そして、過酷な環境から次第に体力を消耗、極度のストレスからくる心臓病を患い、1952年8月13日にスターリングラードの捕虜収容所で没しています。

第二次世界大戦が終わって7年もの歳月が流れていました。

ホーゼンフェルト顕彰

しかし、ホーゼンフェルトの為した命の偉業は、彼の命の終焉で終わるものではありませんでした。

映画が世に出された後に、ホーゼンフェルトを知る人の尽力によって、顕彰され始めたのです。

映画公開から5年を経た2008年、ユダヤ人追悼記念館ヤド・ヴァシェムにおいて、ヴィルム・ホーゼンフェルトは「諸国民の中の正義の人」として極めてスペシャルな顕彰をされています。

この称号は、命をかけてユダヤ人を救った非ユダヤ人に対して、ユダヤ民族が贈る最高の栄誉である、、、とされています。

『戦場のピアニスト』このセリフ翻訳は要注意!

『「戦場のピアニスト」を救ったドイツ国防軍将校ローゼンフェルトの生涯』において、映画の字幕に対しての言及があります。

なるほど、と思いましたので、そのまま転載しておきます。

「ホーゼンフェルト氏は、シュピルマンに対して、映画の字幕のように侮蔑的に『お前』(du)あなたと呼びかける事は決してありませんでした。彼は常に敬意を込めた『あなた』(Sie)を使っていました。

貨車に詰め込まれたシュピルマンの家族のその後は?

シュピルマンの家族は貨車に詰め込まれた後、そうなったかは描かれません描かれません。

だからでしょう、ネットでは「シュピルマンの家族はどうなったの?」という疑問が見られます。

シュピルマン自身、「家族のことを語ろうとしなかった」との記述があります。それはホロコースト、ジェノサイドにやられたに違いない家族を思い出すのがあまりに辛かったから、、、だったのではとぼくは思います。

多分、シュピルマンの両親、兄弟家族は、悲しいかなアウシュビッツで殺された、、、のでしょう、、だからこそ、生き残ったシュピルマンは口をつぐんでいた、、、それがぼくの推察です。

なぜキャラメルを六等分したのか?

この映画でもっとも印象に残ったシーンはどのシーン?と問われたならば、即座にぼくはこう答えます。

「一粒のキャラメルを六等分にするシーン」です

収容所に連れ去られる前に、広場に集められたユダヤ人たち。その間を一人の少年がキャラメルを売り歩きます。シュピルマンの父親は家族に有り金を出させ、それでキャラメルを買います。しかし、たったの一粒です。

その一粒を小さなナイフで、小さな六つのかけらにして、家族皆が分け合います。

このシーンが何を意味しているのでしょうか?

ダビデの星は六芒星です。

キャラメルを6つに分け、子供たちに分け与えたことで、「どんなに小さな存在になったとしても、世界に散ったユダヤ人は生き抜いていく、、、」という思惟を、あのシーンは暗喩しているようにおもえるのです。

『戦場のピアニスト』評価は?

戦場のピアニストを理解するキーワードに「助ける」という言葉があると、ぼくは思っています。

シュピルマンは他人の助け無くしては生き延びることはできなかったでしょう。

そして、最後に、シュピルマンはなぜ敵国のドイツ軍人から「助けられた」のか?

戦場のワルシャワという混乱と破壊、蹂躙、非人道の極地にありながら、敵国兵が芸術家を救い出した、、、そんな絶対的にあり得ない事実を、しっかりと映画から受け止めることができるかどうか?

この映画の本質は、時代を超えたことによって、多分、作家ロマン・ポランスキーの思索、思惟さえもすでに越えている、とぼくは考えます。

芸術作品とは、時に、時代との交歓によって、作家が練り込んだ血肉以上の発露を生み出します。

宇宙秩序との調和に至った作品には、特にそんな傾向が強いと思っています。

この映画はそんな稀有な作品だとぼくは捉えています。ぼくの評価は星五つです。

『戦場のピアニスト』スタッフ・キャスト・データ

スタッフ

  • 監督:ロマン・ポランスキー
  • 脚本:ロナルド・ハーウッド
  • 原作:ウワディスワフ・シュピルマン
  • 音楽:ヴォイチェフ・キラル
  • 撮影:パヴェル・エデルマン
  • 編集:エルヴェ・ド・リュズ

キャスト

  • ウワディスワフ・シュピルマン:エイドリアン・ブロディ
  • ヴィルム・ホーゼンフェルト:トーマス・クレッチマン
  • ヘンリク・シュピルマン:ダニエル・カルタジローネ
  • レジナ・シュピルマン:ウルスラ・ドブローヴスカ
  • ハリーナ・シュピルマン:ミハウ・ジェブロフスキー

アカデミー賞受賞歴

第75回アカデミー賞で、エイドリアン・ブロディ:主演男優賞、ロマン・ポランスキー:監督賞、ロナルド・ハーウッド:脚色賞を受賞。

エイドリアン・ブロディ、2025年にホロコーストを扱った映画で2度目のアカデミー主演男優賞受賞




コメント

タイトルとURLをコピーしました