『ベン・ハー』(1959年)あらすじ・ネタバレ解説・評価レビュー|キリストとジュダの物語〜CGなし実写の戦車競争が映画史に刻まれるスペクタクル

アドベンチャー

こんにちは!映画好き絵描きのタクです。今回は歴史スペクタクルムービーに名を刻む『ベン・ハー』(1959年公開)を取り上げます。

古代ローマ時代、エルサレムを舞台に、ユダヤ人の貴族の息子ジュダ・ベン・ハーが、友人だったローマ人のメッサラの裏切りによって奴隷にされ、その後、数々の試練を乗り越えていく物語ですが、同時にキリストの生涯を示唆する物語ともなっています。



アカデミー賞を11部門で受賞しています。過去この記録と並ぶのは、『タイタニック』と『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』の2本だけ。CGがなかった1959年に、巨大セットとフィルム合成、で作り上げられた世界は、当時どれだけ驚きを持って迎えられたか、想像に難くないです。

監督は『ローマの休日」の監督でも有名な…というか、大巨匠の1人ですね、ウィリアム・ワイラー。主役ベン・ハーをチャールトン・ヘストン、敵役メッサラをスティーヴン・ボイド。ルー・ウォレスの小説『ベン・ハー』がベースです。



『ベン・ハー』解説

ウィリアム・ワイラー監督の『ベン・ハー』は、この映画以前に二度映画化されています。

1本目は、1907年。15分の無声映画です。

2本目は、1925年。こちらもやはりサイレント映画。

なんとウィリアム・ワイラーは、この2本目の『ベン・ハー』に制作スタッフとして参加していたそうです。

ワイラー監督は、2本目から34年後にこの『ベン・ハー』を撮った事になります。

2016年には4本目として、ティムール・ベクマンベトフ監督、キャストをジャック・ヒューストンモーガン・フリーマントビー・ケベルで制作されていますが、今回取り上げるのはウィリアム・ワイラー作品です。

スタッフ・キャスト

監督:ウィリアム・ワイラー/原作:ルー・ウォーレス『ベン・ハー』/脚本:カール・タンバーグ/撮影:ロバート・L・サーティース/音楽:ミクロス・ローザ

キャスト:チャールトン・ヘストン /スティーヴン・ボイド /ジャック・ホーキンス   /ハイヤ・ハラリート /ヒュー・グリフィスほか。



『ベン・ハー』予告編

『ベン・ハー』って、どんな映画?そう思われる方も多いと思います。….だって、60年以上前の映画ですから。

まずは予告編をご覧いただくとわかるとおもいます。

音楽ミクロス・ローザの「これぞ史劇」と思わせる重厚な序曲ではじまります。

『ベン・ハー』あらすじは?

注)以下、あらすじはネタバレ含みますので、映画をご覧になりたい方はスルーしてください。

+ + +

ローマ帝国支配下のエルサレム。

裕福なユダヤ人のジュダ・ベン・ハーは、ある日、ローマ新提督の行列に誤って瓦を落とし、捕縛される。

親友と思っていたローマ軍人メッサラに助けを乞うが、メッサラは受け入れず、母と妹は投獄。ジュダは奴隷身分に堕とされ、ローマの三段櫂船の漕ぎ手として過酷な日々を送ることになる。

海戦に向かう船上、なぜかジュダはローマ海軍司令官クインタス・アリウスに目を置かれる。

海戦で船は沈み、ジュダは海に落ちたアリウスを助け出す。

ジュダはアリウスの信頼を得て、アリウスのローマ凱旋に同行、晴れて自由の身となる。

家族の無事を確かめるため故郷へ帰国するジュダ。

そこで、メッサラとの因縁の再会が。

メッサラから母も妹も過酷な牢獄に入れられたことを知るジュダ。

そしてジュダは彼女たちが過酷な牢獄で不治の病となっていることを知り、メッサラへの復讐の念に駆られる。

帰国時に4頭立ての戦車の扱い方でアラブの族長の信頼を得ていたジュダは、壮絶な戦車競争に出場。メッサラと4頭立て騎馬戦車競争で対決する。

メッサラは最後の周回で落馬、瀕死の重傷を負う。

勝利を収めるも、今際の際のメッサラから不運と呪いの言葉を投げかけられ、復讐心に苦しむジュダ。

不治の病が重篤となった妹と母親を連れたジュダは、ローマ軍兵士にゴルゴダの丘へと連れて行かれる十字架を背負ったイエスに会う。

十字架に磔となり、昇天するイエス。

気がつくと母と妹の病は綺麗に消えさり、ジュダはイエスの死によって心を癒され、救われる。



『ベン・ハー』感想

1970年代、中学生だったぼくのアテにならない感想

歴史的名作と評価されている『ベン・ハー』を初めて観たのは中学生の時だったと記憶しています。

もちろん封切りではなく、リバイバルです。多分、名画座か田舎の映画館です。

映画の楽しみを知ったばかりのぼくでしたから、当時(45年以上前)、有名なガレー船シーンや戦車競争シーンにそれはもうノックアウトされたのは当然至極。

家に帰ってきては『ベン・ハー』のロゴをノートに描き写したり、ガレー船を描いたりして悦に入っていたのを覚えています。

とにかく贅沢極まりないハリウッドスペクタクル映画のスケールの大きさ、そして迫力にアテられて興奮したんですね。

ひたすらノートに落書きして寝ても覚めても「ベン・ハー』と訳もわからず楽しんでいた、、、それが中学生だったぼくの『ベン・ハー』に対する評価でしょう。

2024年に観て感じた、「時代の持つ速度」

そして時は流れて、2024年。久々に『ベン・ハー』を再見してみました。

まず思ったのは、テンポの緩やかさです。

この「ドラマの進み方の緩やかさ」は、公開当時の「時代の持つ速度」なのでしょう。

今の人が見たなら、「ゆったりおっとり感」を感じるかもしれません。

休憩が入るという長い映画ですが、飽きませんでした。やはり、脚本に無駄がない、ということでしょう。

音楽=サウンドトラックについてもやはり時代の違いを感じました。ぼくは饒舌感がちょっと苦手。でもそれも時代というものでしょう。昔は音楽の使い方の基準が今とは違っていたんだと思います。


ガレー船の戦闘シーン

『ベン・ハー』の見どころの一つ、それはジュダが奴隷となり苦役をさせられるローマ軍船=ガレー船のシークエンスです。

古代ローマの軍船は船体左右に突き出された三段の櫂で進みます。

当然、エンジンなどないわけで、どうやって櫂が動くか?というと人力です。漕ぎ手が何十人といるわけで、その役につくのが奴隷です。

平時と戦闘時、突撃時では船の速度を変えなければなりませんよね。

速度を上げるということは、漕ぐスピードをアップさせるわけで、その時の船内の様子が、すごい。

櫂を前後させる速度を決めるのは、甲板長の打つ太鼓の「ドン!ドン!ドン!」という太鼓の速度です。

通常は↓こんな、まあ、そこそこ。

「ドン・・ドン・・ドン・・ドン」

臨戦体制になると2倍速。

「ドン! ドン! ドン! ドン!」

突撃時に至っては

「ドン!ドン!ドン!ドン!」

と4倍速になるのです。

「嘘だろ、そんな速度で漕げるのか??」と、叫んでしまうようなシーンですね。

観客の心臓の鼓動も同時に加速、今に見てものけぞります。

2024年に公開された『グラディエーター』でも、海戦シーンでその様子がしっかりと描かれていました。

古代地中海での海戦を「兵士の戦闘シーン」で見せるだけではなく、「漕ぎ手の視点」で捉えているのが今観ても新しいです。


超有名な戦車競争シーン

CG一歳なし、ぶっつけ本番でカメラを回している4頭立て騎馬戦車競争シーンの大迫力は一見の価値ありだと思います。

最近は、迫力アクションシーンは、大体グリーンバックで演技を撮影して、VFXで重ね合わせるのが定番になっています。アクション映画で超スピーディな迫力シーンばかり見せつけられているせいか、物足りなさを感じるのは、正直否めません。

しかし、当時はコンピュータもAIもありません。実際に馬を走らせて、実際にカメラも追います。

そんな『ベン・ハー』の戦車競争シーンには「本物とはこういうものだ」という説得力があります。

ちなみに、戦車競争が繰り広げられるだだっ広い競技場は、そのスケールの大きさから、「マットペインティングとの合成かな、、、」と思っていました。

調べてみたら、なんとイタリアに広い石切場を見つけてきて、実際に作ってしまったのです。

セットから競争シーンまでモノホンスケール。

人間がホンモノで撮影する限界にチャレンジしたようなシーンなのですね。


ジュダとメッサラ/憎しみと赦し

そして今に観て、刺さってきたのは、「憎しみと赦し」というテーマです。

さすがに中学時代のぼくにはそんなことは全く理解できなかったようで、2024年の再見ではじめてわかったのが、この映画の主題「憎しみと赦し」でした。

『ベン・ハー』は、オープニングタイトルに「イエスキリストの物語」ともクレジットされています。

しかし、実際にイエスが出てくるシーンはそんなに多くはありません。ドラマ中盤は、ほぼない、と言ってもいいです。

では、なんで「イエスキリストの物語」となっているのか、ぼくも観終わってしばらく謎でした。

しかし、主人公のジュダの、喜怒哀楽を正直に表し、クライマックスまでメッサラへの憎しみを手放すことができない彼の姿に、「自分もジュダだったら、絶対赦せないよな…」と同調していたことに気付いたとき、こう思ったのでした。

「そうか、憎しみを持つオノレに悩み、そして赦したいけど赦せないとさらに苦しむジュダのドラマは、大きな意味で「イエスの物語」なのかもしれない…」

間違っているかもしれないけど、ぼくはそう思ったことで、『ベン・ハー』の謎にスッキリできたのでした。



『ベン・ハー』評価

アカデミー賞11部門最多受賞の『ベン・ハー』です。歴史に名を残している有名な映画でもあります。なので五つ星を出さないと怒られそうですが、ぼくは『ベン・ハー』に星を四つです。

『ベン・ハー』を作り上げたエネルギーはすごかったと思いますし、その功績は数え切れないと思います。

しかし、11部門最多受賞って、当時の社会情勢やハリウッド内の力関係、外部からの圧力を、ぼくは感じてしまいます。

賞って、どんな世界でもダークな一面があるのが世の常。特にオカネが絡んだ世界ではなおさらです。

そして同時にアカデミー賞11部門最多受賞は、キリスト教文化圏内の評価でもあるように、ぼくは感じたのでした。

もちろん『ベン・ハー』が歴史的名作であることは事実。

作品が名作と評価されていればいるほど、感じ方は多様で良いのではないか、、、とぼくは思うのです。



俳優/略歴

チャールトン・ヘストン略歴(ジュダ・ベン・ハー)

1924年10月4日に生れ。高校時代から演劇を志し,職業俳優としての初出演はシカゴのラジオ・ショー。舞台デビューは1948年「アントニーとクレオパトラ」。主な出演映画作品に「地上最大のショウ」「+戒」「大いなる西部」「エル・シド「北京の55 日「偉大な生涯の物語」「カーツーム」「猿の惑星」「ハイジャック」「ソイレント・グリーン」など。

スティーブン・ボイド略歴(メッサラ)

192874日アイルランド・ベルファスト生れ。8オの時BBC 放送の舞台劇にデビュー。引続き生地のラジオ・ショー出演。18オでウルスター・ドラマチック・グループに加わった後ロンドンへ。英国俳優のマイケル・レッドグレーブの世話で舞台に立つ。演劇出身。映画出演作品は「天地創造」「ミクロの決死圏」「宝石を狙ぇ」「シャラコ」など。

ハイヤ・パラリート略歴(エスター)

パレスチナのハイファに生れ テル・アヴィヴに育つ。高校卒業と共に海軍に入隊。演劇班で軍慰問舞台に立つ。のちにテル・アヴィヴ・チャンバー劇団入団。映画デビューはイスラエル作品「24高地応答なし」次いでイタリア映画「現代の女性」。ワイラー監督とカンヌ映画祭で会い,ベンハーに出演。 その後の出演作品は「インターン」「アトランタイド」など。

ジャック・ホーキンス略歴(海軍司令官クインタス・アリウス)

19109 月14 日ロンドン生れ。バーナード・ショウの「セント・ジョーン」の初演の舞台に職業俳優としてデビューしたのが13歳。それ以来イギリスアメリカの劇団で舞台に立つ。映画デビューは1931年ヒッチコック監督の「下宿人」。以来「落ちた偶像」「絶壁の彼方に」「マルタ島攻防戦」「黒ばら」「怒りの海」「ピラミッド」「戦場にかける橋」「アラビアのロレンス」などに出演。

『ベン・ハー』配信先

以下サービスで配信・レンタルできます。

Prime Video レンタル
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