ネタバレ考察『福田村事件』映画のあらすじ・感想・評価〜今の日本人に突きつけた刃

シリアス・問題提起

こんにちは、映画好き絵描きのタクです。今回レビューする映画は『福田村事件』。
関東大震災の時にデマによって疑心暗鬼になった人々によって大勢の朝鮮人が殺されました記録が今に伝わっていますが、福田村の自警団が日本人の薬売りの行商団のうち9人を一方的に殺害した事実を探り、作られた映画です。集団心理の怖さ、今で言う「フェイクニュースに知らぬ間に踊らさせられる恐ろしさ」をも描いた映画だと思います。(日本映画/2023年作品)


『福田村事件』予告編

『福田村事件』スタッフ・キャスト

監督 #森達也 脚本 #佐伯俊道 #井上淳一 #荒井晴彦
出演: #井浦新 #田中麗奈 #永山瑛太
#東出昌大 #コムアイ #木竜麻生 #松浦祐也 #向里祐香 #杉田雷麟 #カトウシンスケ #ピエール瀧 #水道橋博士 #豊原功補 #柄本明




『福田村事件』映画のあらすじ

あらすじは公式サイトより転載します。

大正デモクラシーの喧騒の裏で、マスコミは、政府の失政を隠すようにこぞって「・・・・いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々に高まっていた。そんな中、朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃した澤田智一(井浦新)は、妻の静子(田中麗奈)を連れ、智一が教師をしていた日本統治下の京城を離れ、故郷の福田村に帰ってきた。

大正12年(1923年)9月1日11時58分に、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される関東大震災が発生。多くの人々が命を失った。
そんな中でいつしか流言飛語が飛び交い、瞬く間にそれは関東近縁の町や村に伝わっていった。
2日には東京府下に戒厳令が施行され、3日には神奈川に、4日には福田村がある千葉にも拡大され、多くの人々は大混乱に陥った。福田村にも避難民から「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報がもたらされ、疑心暗鬼に陥り、人々は恐怖に浮足立つ。
地元の新聞社は、情報の真係を確かめるために躍起となるが、その実体は香としてつかめないでいた。震災後の混乱に乗じて、亀戸署では、社会主義者への弾圧が、秘かに行われそして9月6日、後に歴史に葬り去られることとなる大事件が起こる。



『福田村事件』ネタバレ考察・感想

ずばりの感想

では、ずばり、感想、いきます。

『福田村事件』は、日本人なら必見ムービーでしょう。

しかし、この映画は事実をベースにしてはいますが、あくまで脚本というフィルターを通したフィクションです。そこをわきまえつつ見なければいけません。

「日本人が流言飛語に乗じて同じ日本人の行商人をよってたかって虐殺…」というセンセーショナルな映画予告でしたので、どんな脚本で観せてくれるのか、と、こちらも身構えて観はじめました。

ですが、意に反して前半部分で描かれるのは福田村村民の平時の様子、そして行商人の親方沼部をはじめ登場人物たちの人間を描きこみです。おもいのほか、ドラマは淡々と進みます。

ちょっと長すぎやしないか?とさえ思えます。

前半は嵐の前の静けさ

しかし、後半関東大震災が起こった後、ドラマ展開はガラッと変わります。

そう、「前半戦の静けさと描き込みはドラマの土台をじっくりと固めていたんだ」と、後から気づきました。

映画前半、朝鮮から帰国したインテリの澤田智一と妻・静子のすれ違いと夫を戦争で亡くした未亡人・島村咲江と世捨て人のような渡し舟の漕ぎ屋・田中倉蔵の関係。そして日露戦争後の村人に根付いていく軍国主義のネガがクロスし焼き付けられます。

その描き込みは「嵐の前の静けさ」、だったのです。

映画の中ほどに関東大震災が起こりますが、映画では震災の破滅的現場は思いのほかあっさりと描かれます。

その抑えた演出は、この映画がいわゆるディザスタームービーではないことを表しています。

そう、映画『福田村事件』は、大震災映画ではないのです。


映画が描き出す集団の怖さ

『福田村事件』が描き出すのは、情報から距離がある人間が、どう間違いを犯すか?そして勘違いしたことが集団になった時、どうメタモルフォーゼしてしまうか?
その怖さだと感じました。

関東大震災が起こった後の展開は、前半の静けさとは一転し、緊迫感は痛いほどです。

その痛さを増幅させるのが、新聞社の女性記者の存在…というところが、うまいです。

女性記者が映画前半からストーリーに絡みますが、報道が国家権力に屈しくずおれていくのと反比例して記者の苦しみが増していく。
彼女の存在をドラマに差し込んだことが、ストーリーに深みを与えていたと感じました。

特に、彼女に朝鮮人虐殺を目の当たりにさせ、疑問を感じさせるシナリオは素晴らしかったと思います。

ネタバレになりますが、女性記者と共にいた一人の飴売りの朝鮮人女性が虐殺され、血のついた白い飴が小道具として使われるカットがあります。

その白い飴をアップで捉えたカットは、セリフなくとも観る人に「一瞬で消え去った命」へ思いをうながす演出でした。

おっと、話が細かなところにいっちゃってますね、話を戻します。



村人のエスカレーションはホラー級

震災が起こり、「朝鮮人が暴動を起こすぞ」という流言飛語=フェイクニュースが村に伝わり、その情報を受け取った福田村の村民たちは、排他感情をエスカレートさせます。

そこに現れるのが、旅まわりの薬売り一行です。彼らは日本人なのですが、いわゆる当時の部落出身者。
福田村の村民達はまるで熱に浮かされるように一行を殺戮しにかかります。
このシーンは、ホラー映画よりずっと怖い。

無知と集団心理、そしてムラ社会の恐ろしさとがグイグイとのしかかってきました。

最初に一座の親方が村人の手にかかりますが、その一手を下すのが、赤子を背負った、若い…というか幼ささえ残っているような母親です。

彼女が、何も考えていないような呆けた目で親方を殺めるカットは、もう、たまらなく怖い。
なぜかホラーの名作『シャイニング』の怖さを思い出させました。(この女優さん、どこかで見たような気がするけど、わからない….。要チェックです)

彼女の親方殺害が、一気に村民感情に油を注ぎ一座のメンバーを一人また一人と殺戮するカットの連なりは、今思い出しても怖く、そして悲しい。

ぼくが過去見た映画(大して見てないけど)のショッキングシーンランキングにいきなり横滑りランクインしました。

痛みと悲しみ

今、殺戮シーンが「悲しい」と、書きました。

そうなんです。この映画のクライマックスシーンはとても怖く痛いのですが、同時にとても深く悲しいのです。

殺されてゆく行商人たちの一人一人の命が、映画という作り物を越えて迫ってきます。

それは、今殺された彼、彼女たちには、殺されるまで「延々と命を積み重ねてきた重み」があったんだ、と、きちんとシナリオにかきこまれ、演出されているからでしょう。
「命の重み」…とぼくが書いてしまうとなんだか軽くなってしまいます。しかし映画で描かれているのは、まさにそれです。

「殺される瞬間まで、一人の人間はそれぞれに悩み苦しみながら歴史を重ねてきており、殺すとは一方的に一人のその歴史を封ずること。
その行為は決して誰にも許されないことだ」という制作陣の声がぼくは聞こえた気がしました。

殺戮が終わったあと、村人が慚愧の念にかられつつも自分たちを擁護する姿も、ある意味で見ものです。
それはまるで、ぼく自身含めて今の多くの、どこかへ流されゆく日本人の姿を見ているようでもありました…。



まとめ〜『福田村事件』アウトサイダー考

ぼく自身、関東大震災時の流言飛語と大勢の朝鮮人が殺されたのは、知識として知っていました。

この映画の意義は、フィクションとはいえ、その「なんとなく知っていたこと」を時系列を明らかにして見せたこと、そして、殺されたのは朝鮮人だけではなかったこと、さらにはいわゆるフェイクが普通の日本人をどう突き動かしたか?を、ドラマというカタチで誰にも分かるよう知らしめたことでしょう。

そのすごさからぼくは、監督はじめ、制作に関わった映画人の矜持(きょうじ)さえ感じました。

アウトサイダーが生きにくい日本
『福田村事件』で描かれるのは、流言飛語で暴走する集団の怖さだけではありません。
実は暗に「アウトサイダーが苦手」な、日本人の持つ特性をも揶揄しています。

ドラマの柱となる主な登場人物は、部落出身の薬売りたちをはじめ、旦那を戦争で亡くした未亡人と、彼女と肉体関係にある村に馴染めない渡し舟の漕ぎ手。そして朝鮮半島から戻ってきた日本語教師夫婦。さらには報道に疑問を持つ、当時は多分珍しかったであろう女性の新聞記者。

彼らは実は全て、アウトサイダーなんですね。

『福田村事件』でストーリーのカナメとなっているのは、後半の迫力演出から殺戮に走る村人のように見えますが、実はアウトサイダーたちなんです。

彼らアウトサイダーの存在があるからこそ、集団の持つ怖さがさらに増幅されていると感じました。

このことは何を意味しているのだろう?

「群れるな。常にアウトサイダーたれ。」

それが、ぼくがこの映画から受け取ったメッセージの一つです。(他の人はどうかわからないけど)


『福田村事件』と水平社

劇中で旅の薬売りたちが「水平社」を口にします。
水平社って、なんとなーく聞いたことはあるな、くらいだったので調べてみました。
正しくは全国水平社。
1922年(大正11年)部落解放を旗じるしに結成された全国規模の融和団体。水平社、シンプルに全水(ぜんすい)とも呼ばれた。
第二次世界大戦以前の日本の運動団体。
…とのことです。



『福田村事件』旅芸人たちが歌うように叫んだ言葉たち

クライマックスで、五人の旅芸人がハリガネで縛り上げられます。「ハリガネで縛る」って、それだけで村人の怖気付きかたを感じさせる演出ですごいですが、縛られた彼らがぶつぶつと念仏のように唱え始める言葉が徐々にはっきりとした言葉となります。
その言葉は何かというと、「水平社宣言」なんですね。

以下に水平社の宣言をWikipediaから転載しておきますね。

+ + +宣 言

全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。

長い間虐められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによつてなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い効果を齎らさなかつた事実は、夫等のすべてが吾々によつて、又他の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。
そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である。
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であつた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖い人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。
そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。
犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。
吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によつて、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦はる事が何んであるかをよく知つてゐる
吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
水平社は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間に光あれ。



『福田村事件』ぼくの評価は?

隠された負の歴史を白日のもとに分かりやすく見せる映画の力を見せつけられました。

同時にこうも思いました。

「映画がフィクションとはいえ「流言飛語に押された人々が集団で人の命を奪った」という事実がベースに横たわっていることで「では、殺人に走った村人はその後どうなったのか?」という野次馬的興味が湧いてきたぼくは、自分自身、当時の流された村人となんら変わりないかもな…」とも。

集団の怖さと無知の怖さ、そしてアウトサイダーの意味を考えさせられました。

殺戮の発端は、大騒ぎしていた軍服勢ではなく、赤子を背負った目の定まらない若い女性のカットは、今のぼくらに「無知の怖さ」を伝えているように感じてなりませんでした。

ぼくの評価は星4つ⭐️⭐️⭐️⭐️です。

ひとつ欠いた理由は、映画の迫力がありすぎて、違った視点だったらどう見えたのか?という思いがいつまでも離れないからです。

映画を公正に判断する素材としての新聞記事

最後に、「映画は史実と異なる」と伝える新聞記事をアップしておきます。この映画に関心のある方は、ぜひ一読をお勧めします。2024年9月12日付けの千葉日報です。

https://www.chibanippo.co.jp/news/national/1274260



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