『フルメタルジャケット』評価:星4つ⭐️⭐️⭐️⭐️逃げ場ナシ!のベトナム戦争映画
ひさびさに見ました『フルメタルジャケット』。スタンリー・キューブリック監督のベトナム戦争映画です。
学生時代に劇場でスクリーンに見て、その後、数度ビデオレンタルで見ています。見るたびに見方が変わる映画です。今回はU-NEXTの配信でレンタルしました。
タイトルの「フルメタルジャケット」とはライフルの弾丸の薬莢以外の実弾のことです。セリフにも出てきますが、直訳すると「完全被甲弾」。鉛で覆われた弾のことです。
数あるベトナム戦争映画の中でも、最前線の描き方だけでなく、訓練キャンプのリアルを描いた点でも『フルメタルジャケット』は異彩を放っていると思います。
『フルメタルジャケット』はどんな映画?
ベトナム戦争を描いた映画は、1970年代後半からいろいろ作られています。
『地獄の黙示録』や『プラトーン』など名作がありますが、キューブリック監督の『フルメタルジャケット』は、他の映画とは異なる独特な匂いを感じます。
訓練キャンプに放り込まれた若者たちが、罵声と情け容赦ない教官を前に個の尊厳を失っていく映画前半、そして、戦場で一体彼らは何と戦っているのか?と、思わせる、まるで観客は従軍記者になったように錯覚する映画後半、、、と、二つのパートで描かれます。
前半も後半も、見ているこちらの胃の腑を掴まれるような演出が続きます。
スタンリーキューブリックの「オレがベトナム戦争を撮ったら、普通には撮らんよ。」という声が聞こえてきそうな映画です。
『フルメタルジャケット』あらすじ
舞台はアメリカ海兵隊の新兵訓練キャンプ。若者たちが髪を剃られ、キャンプの一日目が始まった。
主人公ジョーカー(マシュー・モディン)たち新兵を待っていたのは、鬼教官・ハートマン軍曹の徹底的な罵倒。そして情け容赦ない連帯責任懲罰だった。
同期のレナードは、身体能力の低さからハートマン軍曹に目を付けられてしまう。その目の付け方は執拗だった。
結果、出来の悪いレナードの連帯責任として罰を受けることになった訓練生たちから、レナードは袋叩きにあってしまう。
そんな過酷な訓練キャンプで逃げ場を失ったレナードは、精神に異常をきたし、卒業式の夜に教官ハートマン軍曹をライフルで射殺。直後に銃口を咥え、自殺する。
+ + +
訓練キャンプを卒業したジョーカーらはベトナムにいた。
報道部に配属となったジョーカーは記者として部隊と合流。訓練所での同期の仲間たちと再会し作戦に同行する。
ある日小隊はフエ市街に展開。ベトコンと交戦、小隊長、分隊長が戦死。小隊はスナイパーの狙い撃ちに身動きが取れなくなってしまう、、、。
『フルメタルジャケット』あらすじ結末ネタバレあり
以下は完全ネタバレとなりますので、映画を観る方はスルーしてください。
次々とスナイパーの銃弾に倒れていく兵士たち。
残された兵士はスナイパーの隠れている廃墟に近づき、捜索を始める。
敵の正体は、なんと年端も行かない少女だった。
ジョーカーは少女の放つ銃弾に釘付けとなるが、駆け付けた仲間が彼女を撃ち倒す。
倒れた少女は祈りをかすかに口にしながらとどめを懇願する。
少女を仲間の兵士が取り囲む。彼らの視線の中、ジョーカーは心の葛藤を断つように拳銃の引き金を引く。
日がくれた。
ジョーカーらは陽気に「ミッキーマウスマーチ」を歌いながら、廃墟の戦場を行軍していく。
エンドロール。
『フルメタルジャケット』感想
「逃げ場」のない辛さ
『フルメタルジャケット』の何がすごいかって、訓練キャンプのシーンに映画の半分近くを費やしている点です。
戦争映画において、訓練キャンプ場の様子は、普通は多分、導入で済まされるでしょう。
でもスタンリーキューブリックは違いました。あえてキャンプの「非人間的な扱いを受ける訓練の様子」と、「罵倒の連続」の中、「若者たちが人間性を失っていく過程」を描くことに重きを置きました。
平和な世界に生きる僕にとって、その訓練キャンプのシーンは、もちろん日常ならパワハラ訴訟必至、あり得んだろう….と言うシーンの連続です。
また、罵倒といじめを受けた果てに心を壊してしまう青年レナードにぼくは同情していました。
同情したと書きましたが、と言うのは、僕も実際にあのような訓練キャンプに放り込まれたら、レナードと同じように間違いなく心を壊していたに違いないと思ったからです。僕もレナードにほぼ近い運動オンチでもあるし、要領がいい方ではありません。絶対に同じ道をたどっていたと思います。
だって、訓練キャンプには「逃げ場」がありませんから….。
というのも、僕の通っていた中学校には、応援歌練習と言う名のもとの軍事訓練キャンプにも似たものがありました。(昭和50年頃です)。応援団が、新入生を校庭に集め、まだ聞いたこともない応援歌を無理矢理歌わせるのです。当然歌詞も知りません。しかし、大声で歌わなければなりません。いや、知らない歌詞は歌えませんから、ただ意味のない大声を怒鳴ることしかできません。
手を振り上げ、怒鳴っていると、応援団員が目の前に立ち止まり、「歌詞違ってるべ!声出せ、声!」と顔面20センチ位のところで怒鳴るのです。
今だから言いますが、僕は嫌で嫌で、こっそり抜け出したことがありました。「なんで1つか2つしか年が違わない上級生に理不尽に怒鳴られなければならないんだ。意味わかんねえし!」13歳の僕は、冗談じゃない!と一度「逃げた」のです。
今にして思うと、僕にとって、逃げ場があったのが救いだったんです。逃げ場がなかったら、僕はどうしていたんだろう???多分今なら登校拒否してたでしょうね。(今にして思えば、その中学校は、軍事教練の悪しき伝統が形を変えて残っていたのでしょう。)
フルメタルジャケットの訓練キャンプの怒鳴りまくられるシーンを見て、僕はその中学の応援歌練習を思い出して辛くなっていました。すみません、つまらない昔話で。よわっちいやつで。
と、小っ恥ずかしい自分の脱出過去を曝け出したのは、「逃げ場」というものの大切さを伝えたいからです。
『フルメタルジャケット』で描かれる世界には、1ミリも逃げ場がないのです。
だから、見ている観客は、心に逃げ場がない状況に追い込まれます。たかが映画なんですが…。
これは辛い。延々辛い。
もちろんスタンリーキューブリック監督が、その辛さを観客に突きつけたのは、あえてだと思うんです。そうじゃなかったら、映画の半分も使って「逃げ場がない世界は人間の理性を奪う」なんて描かない…と僕は思うのです。
人間、逃げていいんです。「逃げ場」を作りましょう。
というわけで、僕らが生きている世の中を見渡すと、世界は美しくもあるけれど、反面、狂気の世界でもあるでしょ???「逃げ場」がなかったら、レナード続出ワールドですよ。
「逃げちゃあかん!」っていヤツは、脳みそキン肉マンだと思っていればいいんです。
キューブリックはまさかそんなこと伝えたかったわけじゃないでしょうけど、僕がこの映画から受け取ったメッセージは、「逃げ場を失った人間は、理性が壊れる」これにつきます。
映画って、何をメッセージとして受け取るかは、映画を見たお年頃やタイミングによって違ってくるから、どんなふうに受け取ったっていい。僕はそうおもってます。
子供の持つ残酷性
全くスジ違いの脱線感想に参ってしまったな…という方もいるかと思いますが、それくらい常軌を逸している(と思う)映画です。
ちなみに僕がこの映画から拾ったキーワードを「逃げ場」の他にあげるとすれば、「子どもの持つ残酷性」です。
ここでもまた心が壊れるレナードのことを取り上げます。
訓練の過程でランニングをするシーンがありますが、他の訓練生が隊列を組んで走っていく。カメラがゆっくりパンすると、パンツを膝下まで下げ、指を加えたレナードが幼児のようによちよちと追いかけていきます。
何とも衝撃的なシーンです。訓練についていけないレナードは、「お前は赤ん坊か!」と怒鳴られ、そしてそのシーンが続くのです。この映画の中で僕の記憶から最も離れないシーンの1つです。
子どもとして扱われたレナードは、このあと心を壊し、反逆を起こします。
ここで「子ども」と言うキーワードが登場します。
僕はこの映画には、子供が持っている残酷性というテーマがうっすらとかぶせられていると思っています。
子供が持っている残酷性ってありますよね。トンボの羽根を意味もなくむしったり、死んだ昆虫をじっと見つめていたり。アリが蝶の幼虫をよってたかって攻撃しているのを嬉々として見ている幼児性です。
理性ある大人から見ると、「おいおい!やめなさい」ってなりますが、それ自体悪いことじゃありません。多分、残酷な幼児性は人間の理性では抑えきれない本能なのでしょう。
『フルメタルジャケット』を幼児性=子供の残酷性というキーワードで見ると、全体にスジが一本通ってくるのです。
前半の訓練キャンプは、理性を取り去るための訓練でもありました。理性を剥ぎ取られた人間こそ、最前線に送り込まれる兵士としては一級品なのですから。
ジョーカーたちの表情がもたらした吐き気
後半が始まってすぐに、寝たカメラを見下ろすジョーカーたちからゆーーーーっくりズームアウトするカットがあります。ジョーカーたちの顔には、嫌悪ともやるせなさとも取れる表情が張り付いています。
カメラがもっともっと引いて、ジョーカーたちの目線に切り替わる。と、そこには穴に放り込まれた何人ものベトコンの死体が転がっている。
くだんのシーンはセリフもないし、ズームアウトもゆっくりです。決してハデなシーンではありませんが、僕は劇場でズームアウトに吐き気を覚えました。死体が映る前です。ジョーカーたちの表情が吐き気を誘ったのです。
『フルメタルジャケット』の名シーンを挙げるとすれば、僕は二つ。
1.レナードが指しゃぶりしてパンツおろして子どもみたいにさせられるシーンと、
2.この吐き気催したズームアウトカットです。
吐き気さえ催したズームアウトカットでは、ジョーカーたちにはまだ理性が残っていることを暗示したんだ、と僕は考えています。
そして、その後、戦場の中に放り込まれたジョーカーはじめ仲間たちは、戦闘のすえ、理性を失い、理性の対極=子どもの残虐性があらわになってゆく….それが『フルメタルジャケット』だ、というのが僕の見立てです。
スナイパーを見下ろす兵士たちと『ワイルドバンチ』
ネタバレになりますが、(映画見たい方はここから先はスルーしてください)クライマックスはベトコンのスナイパーと小隊の戦いになります。
その戦闘シーンは、まるで報道カメラマンが撮っているかのようなリアリティがあり、グイグイ引っ張られます。戦争映画の戦闘シーンでも屈指だと思います。
銃弾に倒れたスナイパーの正体は、年端も行かない少女なんですね。(ここでも子どもが登場します)そして虫の息の少女を見下ろす兵士たちの顔が映ります。
そのカットで僕は、ある映画を思い出したのです。
それはバイオレンスの巨匠といわれたサム・ペキンパーが監督した傑作『ワイルドバンチ』の冒頭です。
『ワイルドバンチ』の冒頭シーンは、「アリの大群によってたかって殺されるサソリを嬉々として見下ろす子どもたち」で始まります。ようは「子どもの持つ残酷性」をあらわしたカットですが、そのシーンを見た時と同じ感覚になりました。
このカットに至って、小隊の登場人物は、理性を完全に剥ぎ取られ、子どもと同じ残酷性を持った立派な兵士になった…と僕はとらえました。
そして今まで書いてきた「理性に相反する子どもの残酷性こそが兵士の資質である」というメッセージはラストで「納得!」となりました。
ラストシーンがまた他の戦争映画にはない、キューブリックに拍手!のエンディング、それは兵士たちが嬉々とした表情で「ミッキーマウスマーチ」を歌いながら行軍していく…というものです。
ミッキーマウスマーチの持つ意味
ここまで書いたので、もはや言うまでもないかもしれませんが、多分誰でも知っている「ミッキーマウスマーチ」は、そう、「子どものための歌」ですよね。
前半でレナードは虐待から理性を失い子どもへと還り、自らの命を断ちます。他の訓練生=兵士たちはかろうじて理性を保っていたものの、少女のスナイパーを撃ち殺した時点で、理性が剥がれ落ち、『ワイルドバンチ』でサソリを殺す蟻たちを嬉々として見るような子どもの残酷性を得て「国家の望む兵士たち」になった…。
長々と書きました。
決して僕は子どもの残酷性を決して悪いものだと思っていません。それは人間の成長の健全な通過点でしょう。そして理性こそ人間を形作るものだとも理解しています。
それらを理解した上で『フルメタルジャケット』を見る。すると、映画には戦争の狂気、戦争に走る国家の持つ狂気、一個人の尊厳の儚さがしっかりと描き込まれていると僕は感じました。
『フルメタルジャケット』は、やはり傑作だと思います。
『フルメタルジャケット』はオススメか?〜評価にかえて
公開から数十年経ってみた今回もやはり辛い映画でした。
心が弱ってるときには見れないなぁ。「逃げ場」に逃げ込んでいる時もぜったいダメ。見れない(汗
でも、深くて見るたびに違った感想で見れる映画です。
でもでも、「誰にでもオススメできる映画か?」と尋ねられると….,やっぱり答えに詰まってしまいます。
僕の評価は星4つ⭐️⭐️⭐️⭐️です。
素晴らしい映画をありがとうございました。
『フルメタルジャケット』You tubeクリップ
ミッキーマウスマーチ
『フルメタルジャケット』配信・DVD情報
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