こんにちは、映画好き絵描きのタクです。「ゴジラ一作目から70周年」の大きな冠をかむった『ゴジラ-1.0』が公開。監督は『三丁目の夕陽Always』、『永遠のゼロ』、『海賊と呼ばれた男』といった昭和ノスタルジーや戦争モノに定評の山崎貴。
『ゴジラ-1.0』は予告編で、その「時代の色」に惹かれ、劇場で観たいと思っていました。
2時間という映画上映枠でどんなゴジラがどのようにスクリーンに暴れ、人間が立ち向かうのか?
ゴジラフリーク部外者で、ゴジラシリーズに疎い運営人による『ゴジラ-1.0』評価レビューです。ネタバレ考察からあらすじまでレポートしてみます。
『ゴジラ-1.0』ぼくの直球評価は?
超話題作の『ゴジラ-1.0』です。
あらすじや感想を書く前に、観ようと思った理由と、評価から言っちゃいます。
ぼくはゴジラに何を期待したのか?
初めてゴジラが世に登場したのは、今からほぼ70年前の1954年。本多猪四郎監督による『ゴジラ』です。以来ゴジラシリーズがハリウッド版も含めると30本を超えています。
映画『ゴジラ-1.0』で描かれる時代は、初代ゴジラとほぼ近い第二次世界大戦後の設定です。
しかし初代ゴジラと大きく違うのが「時代を終戦間際から敗戦直後とし、武装解除された中でのドラマにした」という点です。
その時代設定の斬新さが、ぼくを『ゴジラ-1.0』を観に劇場に向かわせた理由でした。(そんな悲しい時代に対して子供の頃からアンテナが立つmorinokumaは、もちろん「戦争を知らない世代」です。しかし、太平洋戦争が終わってまだ17年しか経っていなかった年に生まれた僕らの世代(ウルトラマン世代ですね)にとっては、『ゴジラ-1.0』に登場する第二次世界大戦で戦った軍艦や飛行機は、超絶にクールな存在だったのです。)
さらには脚本を書いたのは、監督自身ですからこれはもう「ゴジラ-1.0を劇場で見ずに死ねるか」という感じでした。
過去ゴジラシリーズの監督で、脚本まで手がけているのは本多猪四郎監督ただ一人なんですね。それでももう一人の脚本家とペア組んでの共同脚本です。
今回の『ゴジラ-1.0』の監督・脚本は、前代未聞の山崎貴監督の一人担当…ということは、山崎貴監督からゴジラシリーズへの最大の挑戦に違いない、配信ではなく劇場での鑑賞が監督への表敬というものだろう、、、と劇場へ向かったのです。
武器が無い中、どう戦うのか?
映画のみならず、どんな表現芸術においても、「自由を奪った状態での表現」は、時として、とんでもないパワーを産むものです。
『ゴジラ-1.0』は、焼け野原から再生する日本人のドラマでもありました。
モノはない。食うのが精一杯。「戦うのは懲り懲りだ」という状況にゴジラが襲来。アメリカはそっぽを向くし、まだ自衛隊さえ存在していない世相設定です。
人間側は、過去なかったほど手足を縛られたキツい状況でゴジラに立ち向かいます。
東京のドラマのスタートは、焼け野原で安藤サクラ演じる焼け跡母さんの迫力演技で始まります。
安藤サクラの演技に、「これは、見せどころは人間ドラマになっていくだろうな、、、」と、そのシーンを観ながら思っていました。
人間ドラマが咆哮の影に消えている
巨大ゴジラの迫力や、戦いスペクタクルシーンは、その咆哮とVFXが相まって超絶にパワフルでした。日本映画のVFXがハリウッドに劣るなんて、もう言わせないぜレベルです。
しかし、残念だったのが、「人間ドラマ」です。
ぼくが勝手に期待していたのだと思いますが、巨大ゴジラの迫力とは逆に、登場人物、特に主人公の心の動きや脇役との絡み合いが弱く感じました。
例えば、主人公は前半「全く戦えない男」なのですが、後半、とあることをきっかけに一転チェンジ、「戦う男」になります。
しかしどうもそのチェンジに説得力が弱い。
映画観ているこちらが、「なんだ、敷島、戦えるんじゃないか…」と妙に醒めてしまいました。
全体通して、俳優陣のセリフも「物語を前に進めるためのセリフ回し」が多く、残念なところでした。だって、ぼくでも次にやって来るセリフが想像できるんだもの。ぼくにとって、この点は映画評価を大きく左右するポイントなんです。
2時間という映画上映枠で説明セリフになったのかもしれませんが、ゴジラのVFX破壊力が素晴らしいだけに、人間ドラマの弱さにザンネン感が残りました。
安藤サクラはじめ、佐々木蔵之介や吉岡秀隆の脇役陣の演技が、シナリオのそんな及ばなかった部分をカバーしていた感じがあります。
主役はもちろんですが、脇役がほんとに大事だな、と思いました。
ぼくは別の形の「反核思想」が見たかった
ゴジラ映画の根底に流れる「反核思想」は、『ゴジラ-1.0』でも暗に提示されています。しかし、時代設定を少し変えたことで、もっと「はっ」とする、「こんな反核思想提示もあるのか、、、」という反核シナリオが見たかったです。(いうだけ勝手だけど)
結論
ぼくにとっては、残念なポイントがあちこちに残った『ゴジラ-1.0』でした。
とはいえ、基本、『ゴジラ』は世界に冠たる、ザがつく『怪獣映画』です。『ゴジラ-1.0』を観るなら、そんなぼくの評価=人間ドラマがどうのこうの=なんてほっといて、とことんゴジラの咆哮と破壊、そして人間の戦いを「楽しむ」のが吉の映画だと思いますよ。
『ゴジラ-1.0』ネタバレ感想考察
と、ちょっと辛口評価となりましたが、もちろん良かったところもたくさんあります。
それではここからは感動ポイントをいくつか書いてみますね。
脇役陣が頑張っていました
安藤サクラの焼け出されたお母さん役、ステキでした。
安藤サクラは『100円の恋』からのファンですが、『ゴジラ-1.0』で会えるなんて、思ってもいませんでした。(ぼくはほぼリサーチなしで映画を観ます)
安藤サクラが口を開いた途端に、一瞬で場が「焼け跡の東京」になります。
安藤サクラ、まさに変幻自在!
吉岡秀隆と佐々木蔵之介の演技もドラマを引き締めています。(吉岡秀隆は、説明セリフが多すぎて演じるのがさぞ辛いシナリオだったように思えます、、、)
主役の神木隆之介は、脇役陣に支えられたなあ、、、というのが、ぼくの正直感想です。
いい脇役が支えた『ゴジラ-1.0』だったと思います。
ゴジラの巨大さは想像を超えていました
ゴジラのハンパないデカさは、これはもうVFXの勝利ですね。
時代設定が戦後混乱期です。主人公たちは「食うため」に機雷除去船に乗ります、掃海艇…というにはあまりに粗末なオンボロ木造船です。
そのオンボロ小船とゴジラの巨大さの対比が生き、結果、ゴジラのスケール感が画面から思いっきりはみ出て観客に迫ってきます。
従来イメージの「怪獣映画」を乗り越えたデカさと、恐怖感をぐいぐい高めた演出、よかったです。
ゴジラの背びれが海原をかき分けて迫り来るシーンなんて、ほとんど『ジョーズ』のサメの背びれ的バクバク感です。(絶対、そのシーンはジョーズへ向けた監督のオマージュだと思う)
全身を見せずに一部分だけチラ見させて怖さを与える…といいう演出は映画の定番です。その定番演出が生きて、背びれに追われるちっぽけな人間の恐怖感が十二分に伝わってきました。
WW II:飛行機フェチは涙します
ネタバレになりますが、主人公が「オレに戦闘機を一機、くれ。なんとかする」というセリフがあります。
歴史的事実としては戦後、日本軍の持っていた兵器は廃棄されました。なので、はたして飛べる戦闘機があるのか?と単純に思いましたが、そこはフィクション映画に許されるウソで回避、しっかり登場します。
で、どんな飛行機か?
ぼくは大戦末期に作られた国産初のジェット戦闘機「橘花」登場か??と、勝手に想像を膨らませたんですが、さにあらず。
スクリーンに現れた機体は、終戦直前に開発されていた局地戦闘機「震電」。
どっちが前だか後ろだかわからないようなシュールなデザインの戦闘機ですが、「震電」を登場させたのには、納得!でした。
他にも、試作段階で終わった五式中戦車がどこからか引っ張り出されてきてゴジラを砲撃しますが、これも「廃棄されたんじゃないの?」なんて、細かいことを言ってはいけないトコロです。
WWII:艦船フェチも喜ぶはず
ネタバレシーンです(閲覧注意)
ぼくも好きな旧帝国海軍重巡洋艦に高雄級重巡がありますが、その重巡高雄が登場します。(もちろんVFX)
高雄登場はWWIIミリオタにとっては垂涎シーンマチガイナシ。
しかし高雄が登場した高揚感の割に、至極あっさりやられてしまうくだりは、あまりにあっけなく、、、。
ですが、この高雄破壊シーンのあっけなさは、ゴジラの桁はずれの強さを象徴するために必要な「あっさり」だったのだと思います。
ミリオタの方向にどんどんいってしまいますね。
このへんで、話を戻します。
徒手空拳の設定に納得でした
『ゴジラ-1.0』では、民間人がゴジラと戦います。この民間人の「オレらがやるしかねーんだべな」という展開は、なるほど、アリだ!と思いました。
多分、今の政府や官僚への皮肉でもあります。
民間人が非武装で戦うといっても、太平洋戦争末期の軍事教練で笑い種にもなっている竹槍で戦うわけではありません。
立ち向かうツールは、歴史的事実にのっとった、太平洋戦争でわずかに生き残った艦船たちです。
それは、駆逐艦雪風、響、掃海艇欅、ともう一隻(名前わからない)です。
武装解除され主砲も撤去され裸のまんまの駆逐艦と掃海艇がゴジラに立ち向かいます。
大砲撤去され飛び道具のない彼らは「ないならないで、他の手を考える」…ということで、ゴジラ殲滅作戦にとあるマテリアルを使います。
それはネタバレですが、フロンガス。
今は世界的に使っちゃいけないフロンガスです。
このフロンガスセレクトは、間違いなく21世紀地球温暖化への警鐘と皮肉を込めていると感じました。
ゴジラを産んだのは人間の作り出した水爆によって撒き散らされたバケモノ=放射能でした。
フロンもまた地球から見れば温暖化を引き起こしたバケモノなわけですから。
監督の「人間を破滅させる「バケモノ」を生み出すのは、すべからく人間自身が作り出した何か、だ」という強いメッセージが込められているのだと思います。
『ゴジラ-1.0』ラストのメッセージは?
ラスト、クライマックスの展開は、直球勝負です。
「こうこなくちゃ!」という展開を、きちんと見せてくれます。
要は「力がないなら、力を合わせる」という定番手法です。
クライマックスに込められていたのは、「人は、一人一人は小さいけど、助け合うことで苦難を乗り越えていける生き物なんだ。」というメッセージでした。
ぼくは「山崎貴監督は、本当に素直な人なんだろうな」と思いました。「こう演出したい!」という思いや、「過去に観た好きな映画へのリスペクト」が画面からバリバリに伝わってきます。
最後に一言〜リスペクトはマネにあらず
しかし、リスペクトを「真似」と言いたくはないのですが、「ああ、いつか見たあの映画の、、、」というシーンがあっちこっちに。ぼく程度のチョロすけ映画ファンに速攻思わせてしまうのは、う〜〜ん、どうかなあ。。。
「リスペクト・インスパイアは、わからない程度にさりげなく、が、かっこいい」というのは僕の個人的意見です。今一歩、脚本のツメが甘かったように感じます。
ブログ冒頭で、脚本を監督が一人で手掛けた、と書きました。
正直、ゴジラの巨大さや、VFXの凄さには圧倒されました。が、映画としての「突き抜け感」はぼくは感じませんでした。
スピルバーグが絶賛していたって記事も見ますが、そりゃあ、自分の作った映画『ジョーズ』へのリスペクト感じたら褒めちぎるでしょう。
初代ゴジラをリスペクトし、評価の高い映画でもありますが、ぼくは納得がいきませんでした。
監督が、誰かもう一人の脚本家と意見を丁々発止戦わせることが、「ゴジラ-1.0」を突き抜け映画とさせるには必要だったんじゃないか、、、、とぼくは思っています。
『ゴジラ-1.0』あらすじ書いておきます
あらすじはさらりといきます。
太平洋戦争末期、神風特別攻撃隊で特攻出撃した敷島(神木隆之介)は、機体の不調を訴え、大戸島に着陸する。しかし、整備隊長は機体の不調はなく、敷島の逃げであることに気づく。
その晩、島をゴジラが遅い整備隊はほぼ全滅。
生き残ったのは敷島と整備隊長だけだった。
戦後、敷島は逃げ帰ったことを重荷として背負い、生きることになる。
焼け跡で敷島の元に、赤子を抱いた若い女性典子が居候することになる。
3人の奇妙な暮らしが始まるが、全ては、生きるためだ。敷島は機雷除去船の仕事に着く。
そんな戦後復興期、ビキニ環礁水爆実験で巨大化した生物が東京を襲う。
機雷除去船でその生物を目の当たりにした〇〇は大戸島で目にしたゴジラであると確信、ゴジラ対人間の戦いの渦に巻き込まれていく。
対ゴジラ作戦に参加することで、逃げ帰った己と対峙することになる敷島。
政府も機能せず、軍隊も解体された日本は、どんな手を打ちゴジラと戦うのか?そして、勝ち目はあるのか??
といったストーリーです。
『ゴジラ-1.0』好評な海外の反応
『ゴジラ-1.0』海外の批評家協会賞で受賞
公開から日にちが経ち、アメリカでの『ゴジラ-1.0』上映の反応がニュースで入ってきています。
ネットニュースを見ると、激賞、高評価ですね。ゴジラはハリウッドでもリメイクされている人気コンテンツですので、他の日本映画とは認知度も違うのかもしれません。
また映画会社の東宝も海外配給会社「Toho International」を作り、海外公開に本腰を入れています。なので、その効果ももちろんあるのだと思いますが、日本映画がここまで激賞されることって、そうなかったように思います。
海外の批評家協会賞でも以下の賞を受賞しています。おめでとうございます。
シカゴ映画批評家協会:最優秀視覚効果賞
ラスベガス映画批評家協会賞:最優秀国際映画賞/最優秀ホラー・SF映画賞
(2023年12月15日現在)
ハリウッドメイドではなく国産『ゴジラ』の健闘に大きな拍手を送ります。
興行収入も全米公開日本映画で歴代一位
アメリカで12月1日に公開されて5日までの興行収入は、なんと日本円換算で21億1000万円(1436万ドル)です。過去のアメリカ公開日本映画のトップランナーは「子猫物語」の1329万ドルだったようで、わずか5日で記録塗り替えたのは快挙です。
ちなみに日本での興行収入はすでに39億円。、、、ぼくのおサイフ感覚では、すみません、全くイメージできません♩
『ゴジラ-1.0』へのアメリカの反応
しかしですが、どうも気になるところがあります。
何が気になるか?というと、反核映画としてのテーマをもつ『ゴジラ-1.0』に対して、核ドカンをやらかし、福竜丸に黒い雨を降らせたアメリカから、「批評意見が全く聞こえてこない」反応です。
そこが、逆にぼくはクエスチョン、、、というか、気持ちが悪いです。
東宝が「Toho International」を立ち上げて海外の仕込みから流通、パブリシティを敷いています。そんな気合全開の国産映画は過去なかったのではないでしょうか?(あったらごめんなさい)
であれば、なおさらに「なるほどなあ、外国人から見たら、そんな視点(感想)もあるのか、、、」という視点のフィードバックを知りたいです。
確かに『ゴジラ-1.0』エンタメではあるけれど、先にも書いた通り、水爆や放射能へのアンチムービーでもあります。
もし、「Kaijyu BANZAI!SAIKO! 」のノリで受け入れられているだけであれば、ちょっと悲しくなります。アンチ批評あってこそ、ニッポンは逆襲できるわけですから。
『ゴジラ-1.0』ヨーロッパの反応は?
ヨーロッパでの公開が、2023年の年末から始まるようです。
ヨーロッパはアメリカとは異なり歴史の文化積層が違うとぼくは思っています。
日本人ともアメリカ人とも違う文化ベースを持つヨーロッパの人々が、『ゴジラ-1.0』に、どのような「思いもかけない賛辞や批評をするのか?」
特に、映画文化に一家言持ち、個人主義で言語表現が巧みだと言われるフランスの人々からの反応が、ぼくは楽しみです。
日本人とは違った視点での「感想」を、フランス人に聞いてみたいよ。
『ゴジラ-1.0』アメリカ公開版は英語字幕?それとも吹き替え?
話はちょっとずれますが、素朴な疑問です。日本映画の海外版って、声優吹き替えなのかな?それとも英語字幕なのでしょうか?
日本映画が海外公開される場合、どちらがスタンダードなのかを、『ゴジラ-1.0』がどちらだったのか調べてみました。
ネットで調べてみたら、結果は、英語字幕です。アメリカ西海岸在住の日本人の方の『ゴジラ-1.0』ブログルポを見つけました。その中で『字幕』と書いていました。
現地の劇場内の様子や感想を書かれていて、とても面白かったです。タイトルは『西海岸からボンジュール』。リンクしておきます。
このブログ、劇場内の空気まで伝わってくる感じで一気読みです。外国生まれのパートナーとお子さんのゴジラ感想にも触れていて、貴重な在米ゴジラレポートだと思います。
『ゴジラ-1.0』アカデミー賞「視覚効果賞」受賞!
2024年3月10日、『ゴジラ-1.0』がアメリカ最大の映画コンペティション「アカデミー賞」で視覚効果賞を受賞しました。素晴らしい快挙です。おめでとうございます。
日本のVFX技術が世界に認められたということですね。受賞が今後の日本映画発展に弾みとなること、間違い無しです。
アカデミー賞トロフィーの「オスカー」の由来
ところでちなみに、なぜ「オスカー」って呼ばれているか知っていますか?
アカデミー賞では受賞者が手にする「人物をかたどった金色トロフィー」が有名ですよね。
そのトロフィーは「オスカー」とも呼ばれますが、なんでオスカーなのか??って思いませんか?
なんでも、あのトロフィーを見た映画関係者の子どもが「オスカーおじさんにそっくりね」といったことが由来だと聞いたことがあります。
子どもの無邪気な一言が今につながっているなんて、素敵じゃありませんか。
追記・過去のゴジラ作品でゴジラや対戦相手が破壊を及ぼした県
日本で制作された『ゴジラ』シリーズ29本で過去破壊が及んだ件は以下のとおりです。
東京・神奈川・静岡・長野・三重・福井・京都・大阪・福岡・大分・鹿児島。
『ゴジラ-1.0』は、焼け跡から復興しつつある東京銀座が破壊されますので、「振り出しに戻る」ですね。これから、ぜひ、他県を攻めてほしいです。
『ゴジラ-1.0』おまけ〜雪風ってこんなフネ
最後におまけです。僕の描いた雪風でレビューを締めくくります。
『ゴジラ-1.0』で大事な役割を担う駆逐艦雪風は、陽炎型八番目の駆逐艦です。当時駆逐艦は同形艦が何隻もあったのです。
大戦末期、戦艦大和が沖縄特攻する際、共に戦った伝説的なフネです。大和轟沈後、無事帰するも、戦後、賠償艦として中華民国に引き渡されました。
ちなみに宇宙戦艦ヤマトでも主人公古代進の兄、守が艦長として指揮する宇宙駆逐艦が、ユキカゼ。
それほどまでにドラマチックなフネなんですよね。
水彩画は武装が撤去される前の雪風です。
コメント
確定申告を終えてようやくひと段落したので、こちらへ伺えました。怪獣マニアの気がある私的には、ゴジラは暴れちゃえば万事OKで、人間ドラマには興味ないです。ただタクさんもご指摘とおり日本軍の兵器への拘りは良かったです。アカデミー特撮部門の受賞は、映画ファンドの豊富な資金投入に支えられたハリウッドへの警句のような気がしました。日本はTVの特撮で少ない予算でやることに慣れていますから、そのせいだろうとも思います。
ヌマンタさん、ぼくも確定申告無事終了しました。新年度スタートですね。ゴジラ-1.0、面白かったですよね。よくぞここまで迫力ある映像を作り上げたものだと思います。ハリウッドVFXでは夜のシーンが多いですが、白昼のゴジラをVFXでまとめ上げたのが見事でした。駆逐艦や重巡再現にはラブさえ感じました。
はじめて書き込みます。
タクさんご指摘のように「人間ドラマ」部分がいただけない。あまりのご都合主義的な展開に劇場で見ていて、少々苦痛を覚えた程でした。一方VFXは見事でした。まあ米国アカデミー賞視覚効果賞が取れたのはめでたいことです。でもこのドラマの作劇が日本映画の力だと思われるのは困ったものだとも思います。
くさかつとむさん、コメントをありがとうございます。ドラマはやはり大切ですよね。VFXは映画音楽と同じく、あくまでドラマを支えるツールの一つだと思っています。映画はシナリオありきだとぼくも感じています。
山崎貴演出は「わかりやすさ」と「クサさ」が味なんです。だからあれでいいんですよ。私10回以上観てますけど、毎回泣きます。VFXとドラマのバランスも絶妙。あれだけゴジラの登場シーンが少ないゴジラ作品も珍しい。それだけドラマに力を入れていたということ。賞総嘗めは当然の帰結。問題なし!
※『キングコング対ゴジラ』には、ゴジラが松島湾から上陸して仙台を蹂躙、東北本線沿いを南下しているという「セリフ」がありますので、一応宮城県にもゴジラは来てますね。セリフだけで直接シーンはないですけど。あと『ゴジラVSメカゴジラ』(平成版)には、ラドンが青森市上空と仙台市上空を通過し、それぞれに多大な被害を与えるシーンがあります。仙台駅前でエキストラ集めて撮影してました。東北にも怪獣さんはいらっしゃってます。
ついでに『ガメラ2 レギオン襲来』では、仙台が文字通り「消滅」してますね。
多分、ぼくは山崎監督の演出のツボが効かないんだと思います。相性が合わないのでしょうね。。。
映画をどう感じるかは味覚と似ていますから、コレばかりは仕方ないです。
ゴジラ襲来の詳しい情報をありがとうございました。
仙台消滅、そうでした、ありましたね。すっぽりと忘れていました。