映画『グラン・トリノ』評価・ネタバレ感想〜あらすじ結末まで徹底解説!主人公は人生をどう決めたのか?

ヒューマン・ハートフル

こんにちは、映画好き絵描きのタクです。今回レビューで取り上げる映画は『グラン・トリノ』2008年公開・アメリカ映画です。

戦争の負の記憶を引きずる男と、アジア系移民=モン族の少年のドラマをクリントイーストウッドが味わい深く演出主演。

映画の時代設定は「今」ですが、『荒野の用心棒』、『ダーティハリー』、『アウトロー』そして『許されざる者』と、アウトサイダー美学を貫いてきたクリント・イーストウッドのこだわりが、あちこちに滲み出ています。

そんな映画人イーストウッドの集大成のような『グラン・トリノ』(とぼくは勝手に思っている)を、感想交えて評価までレビューします。



『グラン・トリノ』予告編




『グラン・トリノ』解説

以下に『グラン・トリノ』公式サイトの紹介テキストを貼っておきます。

妻に先立たれ、一人暮らしの頑固な老人ウォルト。人に心を許さず、無礼な若者たちを罵り、自宅の芝生に一歩でも侵入されれば、ライフルを突きつける。そんな彼に、息子たちも寄り付こうとしない。学校にも行かず、仕事もなく、自分の進むべき道が分からない少年タオ。彼には手本となる父親がいない。二人は隣同士だが、挨拶を交わすことすらなかった。ある日、ウォルトが何より大切にしているヴィンテージ・カー<グラン・トリノ>を、タオが盗もうとするまでは――。
ウォルトがタオの謝罪を受け入れたときから、二人の不思議な関係が始まる。ウォルトから与えられる労働で、男としての自信を得るタオ。タオを一人前にする目標に喜びを見出すウォルト。
しかし、タオは愚かな争いから、家族と共に命の危険にさらされる。彼の未来を守るため、最後にウォルトがつけた決着とは――?

タイトルのグラン・トリノとは自動車の名前です。フォードブランドの車種です。

フォード・トリノのうち、 1972年から1976年の間に生産されたもの「グラントリノ」と呼ぶようです。

主人公コワルスキーは、朝鮮戦争に従軍後にフォードのデトロイト工場で組立工として働いていた設定です。

彼のガレージにある一台のグラントリノを核に、コワルスキーの心の変化、モン族の少年の成長、そしてコワルスキーの「人生の最後をどう決めるか?」が描かれます。

モン族とは、中国の雲貴高原からベトナム、ラオス、タイの山岳地帯にすむ民族です。

生粋アメリカ人と移民のぶつかり合いと邂逅のドラマでもあります。

クリントイーストウッドが演じるコワルスキーは、朝鮮戦争で心に傷を負った、ある意味アウトサイダーです。

モン族移民もアウトサイダーと考えるなら、『グラントリノ』は居場所を探すはみ出し者同士のドラマ…と、ぼくは捉えています。

 




『グラントリノ』は実話か?

グラン・トリノは実話か?という疑問がネット上にありますが、グラン・トリノはフィクションです。実話ではありません。

『グラントリノ』あらすじ前半

舞台はデトロイト。主人公のコワルスキーは郊外に一人暮らしている。

朝鮮戦争に第一騎兵師団の兵士として従軍した彼は、退役後にフォードの自動車組立工を務め上げ退職、その後妻を亡くし一人住まいだ。

ガレージには一台の磨き上げられたクルマがある。

車種はグラントリノ。彼自身が組み立てにたずさわった名車だ。

 

しかし執拗なまで頑固な彼は、息子たちからも嫌われ、ビールを一人、デッキで飲む日々。

 

そんな彼の家の隣に東洋人一家が引っ越してくる。モン族の少年タオとその一家だ。タオは内向的でほとんど口も聞かない。自分の進むべき道など見えているはずもない…そんな少年だ。

 

タオには従兄弟にはストリートギャングのボスがいた。タオを仲間に引き入れようと家に立ち寄り始める。

そんな隣家の様子を苦虫を噛み潰した顔で見ているコワルスキー。

タオは従兄弟のボスからギャングに入るよう強引に誘われる。

断りきれずにタオは従兄弟の命令のまま、コワルスキーのグラントリノを盗み出そうと、夜の闇をつきガレージへと忍び込む。

 

が、コワルスキーに見つかりそうになり逃げ去るタオ。

 

コワルスキーはアジア系のタオ一家を毛嫌いしていたが、その後、ギャングからからまれているタオや姉のスーを、通りすがりに助けることになる。

そんないきさつで、コワルスキーはタオ一家との交流が始まる。

 

コワルスキーの頑固さは変わらないが、タオの家族から、グラントリノを盗もうとした罪の償いとして、タオにコワルスキーの家の雑務をこなすよう命じる。

二人の不思議な関係が始まる。

コワルスキーはタオに対して男としてすべきさまざまなことを教え、そして土木仕事を口利きする。タオは一人の男としての自信をつけ始める。

 

そんな物語と同時進行するかのように、明かされるのは、コワルスキーを頑なに頑固にしたのは、朝鮮戦争従軍での罪の意識であること。また、コワルスキーの体を病気が蝕んでいる事実だ。

 

ある日、タオの従兄弟率いるギャングが、タオに嫌がらせを加える。

コワルスキーはギャングの一人の家で待ち伏せし「タオ一家に近寄るな」と痛めつける。

 

事態はしかし悪化。

ストリートギャングは、コワルスキーとタオ一家への嫌がらせをエスカレートさせ、タオの家に銃を乱射。スーは手ひどくレイプされてしまう。

 

コワルスキーの怒りに火がつく。

『グラントリノ』あらすじラスト結末まで〜ネタバレ閲覧注意

以下は結末までのネタバレとなります。映画を観る方はスルーしてください。

+ + +

コワルスキーはしかし復讐を叫ぶタオを家に閉じ込め、何かを深く考え始める。

 

そして、意を決し、単身、ギャングの根城に向かう。

 

根城の家の前で対峙するコワルスキーとギャング団。

コワルスキーは、「タオたちに二度と近寄るな」と静かに凄む。

手元にマシンガンを握ったワルたちは聞く耳を持たない。

 

騒ぎに気づいた近所の住人たちが「いったい何事か?」と窓越しに覗いている。

 

緊張が走るストリート。

 

一人静かに立つコワルスキーは、意を決したかのように、一本のタバコを取り出し、咥える。

ゆっくりと上着の内ポケットに右手を入れるコワルスキー。

 

銃を撃たれると恐怖に駆られたギャングたちはコワルスキーに向け一斉に銃を乱射、コワルスキーは蜂の巣となり絶命する。

 

しかし、倒れたコワルスキーの右手に握られていたのは、銃ではなく、第一騎兵師団マークが刻まれたジッポーライターだった。

 

近隣住人の通報で警察が到着、ギャングたちは、素手のコワルスキーを射殺した角で逮捕されている。

 

そこにやってくるタオとスー。

 

コワルスキーが収められた遺体袋に駆け寄るが警官が制止する。そして彼は現場で起こったことをタオに早口で伝える。

 

「コワルスキーは武器は持たずにギャングに向かっていった。近隣住人が、丸腰のコワルスキーが一方的に撃たれたところを見ている。

ギャング達は皆、監獄で長期刑だな」

 

その言葉にタオとスーは、ハッとする。

 

そうか、コワルスキーは、自らの死と引き換えに、ギャングたちをタオとスー家族から引き離したのだ。

教会で葬儀がすみ、とある弁護士事務所。

弁護士が、コワルスキーの息子たち遺族を前に、彼が残していた遺言書を読み上げる。

その文面には「グラン・トリノはタオに譲ることとする」とあった。

 

どこかの美しい海辺を走るグラントリノ。

ハンドルを握るのはタオだ。

ハイウェイの彼方、遥かに小さくなっていくグラントリノ。

エンドロール。


『グラン・トリノ』考察感想

幾つものアウトサイダーを越えて

さて、あらすじを紹介しましたが、そんな『グラントリノ」』、これまでクリント・イーストウッドは『荒野の用心棒』『ダーティーハリー』『アウトロー』『許されざる者』と、社会からはみ出した人間、すなわちアウトロー、広い意味ではアウトサイダーの生き様を形を変えて演じてきました。

クリント・イーストウッドが演じてきたアウトサイダーたちは、どの作品でも、ラストで主人公が死ぬと言う事はありませんでした。

しかし、『グラン・トリノ』のラストでは、主人公コワルスキーが自らの命と引き換えに未来ある若者を助けます。

年長者が命と引き換えに若者の未来を開くというスタイルは、『グラン・トリノ』公開に先立つ2年前の2006年に公開された『硫黄島からの手紙』でも日本軍司令官と若い一兵卒という形でさりげなく表現されていました。

また、2021年公開の『クライ・マッチョ』でも、栄光を引きずる過去の英雄と迷う少年の物語でした。

これは何を意味するのでしょうか?

クリント・イーストウッドはこれまでも様々な映画を作ってきました。

その彼も80歳を越え、それでもなお老いを感じさせないペースで精力的に映画を取り続けています。

しかし同時に、イーストウッドが演じている人物像も変わってきているように感じます。

どういうことでしょうか?

アウトサイダーを演じさせたらかっこよさ天下一品のイーストウッド。その彼が敢えて『グラン・トリノ』でこう問いかけているように、ぼくには思えます。

「普通の暮らしの中、真の意味での英雄とは、いかなる存在なのか?」

いくつもの過去を背負い老いたコワルスキーの生き様に、その答えをにじませて世に送り出したのが『グラントリノ』なのです。

老齢となったクリント・イーストウッドだからこそ発することができるメッセージといってもよいかもしれません。


あぶり出される異民族集団国家アメリカの実像

『グラン・トリノ』でははっきりと「移民問題」の言葉は出てきませんが、ドラマではアメリカが移民が押し寄せる多民族国家であり、白人のアジア系に対する意識にも切り込んでいます。

移民を取り扱った映画ではメキシコ系移民はよく出てきますが、アジア系の移民が物語の柱になっている映画はあまり見たことがありません。

主人公コワルスキーの家はデトロイト郊外という設定ですが、その地域にアジアからの移民が増えていることが映画では描かれます。

モン族はラオスの山岳民族です。インドシナ戦争でフランス・アメリカに協力しますが、のちに反体制民族として弾圧され、結果、アメリカに移住してきたことが明かされます。

朝鮮戦争従軍経験があるコワルスキーは、ゆえに暮らす町にアジア系が増えている状況にも腹を立てているのです。

しかし彼が異民族の暮らし=異文化に触れて心を少しずつ開いていく過程を見ていると、「異文化がやってきたら、まずは飛び込め」という真理を暗に伝えているように思います。

ぼくらが暮らしている日本は島国ゆえに異文化に対してコンプレックスが強いのは事実でしょう。

ぼくをはじめ、異民族、異文化に弱い多くの日本人に、『グラン・トリノ』は新しい視点をくれる映画だと思います。

少年へのバトン

イーストウッド演じるコワルスキーの偏屈爺さんぶりは見ものです。…というか、これまでのイーストウッドの演じるキャラで偏屈じゃない役柄ってあまり記憶にないです。

でも、今回は西部劇や刑事モノといったアクション系偏屈野郎=アウトサイダーともいう=ではなくて、ごくごくフツーの人々のドラマの中での偏屈役柄。

だからますます「こんな爺さん、いそうだよな。隣には、絶対住みたくないよね」って感じ。

後半ところどころ優しげな表情見せますが、そこでは見ているこちらがホッとするほどです。

大事なのは、そんな偏屈爺さんだからこそ、クライマックスで少年にバトンを渡せた、、、という筋書きです。偏屈な爺さんでなければ、ぼくのような周りの顔色伺って生きているような人間が主人公では、タオとの関係を通して命のバトンを継ぐストーリーにはならなかったはずです。

老害という言葉がほぼ流行語になっています。

高齢者が「老害野郎だった」と呼ばれて終わるか、「最高の頑固爺さん(婆さん)」と栄誉を受けるかどうかは、その命と引き換えに、時代を継ぐ若者に何を渡せるか?なのかもしれません。

あ、バトンとはモノではないです。あくまで心のあり方、です。



コワルスキーの過去

映画では、なぜにコワルスキーがアジア系隣人を嫌いまくっているのか?という理由も明かされます。

その遠因は、朝鮮戦争での従軍です。

その明かされ方が、憎いほど少しずつ小出しなのです。その演出とシナリオがうまい。

ただのアジア人嫌い爺さんではなく、きちんと「嫌いになった」理由がクライマックス近くにようやく明かされます。

それは、ある作戦で、コワルスキーが一人だけ生き残って帰ってきたことや、タオと同じ歳格好の朝鮮兵を射殺した過去です。

人を撃ち殺すことがどういうことなのか?をつぶやきますが、そのつぶやきからは、ダーティハリーの撃つ44マグナム弾と同じ威力を感じました。



自ら選び取ったエンディング

さて、クライマックスへの駆け上がりで、姉がレイプされたタオは激昂し復讐を叫びます。

コワルスキーも復讐の念にかられるのですが、そこからの展開が秀逸でした。

まず、コワルスキーが嫌っていた牧師が現れ、あろうことか「復讐という選択肢」を言葉にします。

その言葉がコワルスキーを思索へと向かわせます。

そして、単身ギャングの根城に乗り込んでゆくクライマックスへとなだれこむのですが、「そうくるか!?」となるエンディングに、ぼくはこの映画は時代を越えるに違いない、と、思いました。

自ら、死を決意しギャングの根城に対峙するコワルスキー。

そのシーンからぼくが受け取ったのは、「人生のエンディングにケリをつけるのは、他でもない自分自身だ」という強いメッセージでした。

コワルスキーが銃弾に倒れたシーンに呆然となったのは事実です。

しかし、そのシーンからぼくが感じたのは、クリント・イーストウッドが過去演じてきた「強いアウトサイダー像」への決別であり、「真の強さとは何か?」という問いかけでした。



ラスト5分のカタルシス

映画は銃弾に倒れたシーンで終わらずに、間をおいて葬儀のシーンへと転換します。

そして、さらに弁護士事務所のシーンへとさらなる転換です。

そのラスト構成が、悲しい結末であってもカタルシスを生み出します。

映画のクライマックスでどんなカタルシスをもらえるか?

それってとても大事なことだと思います。

『グラン・トリノ』が言いたかったのは、結局、「老いた人間が、これからの若者にどんなバトンを渡せるのか?」だったように思います。

ラスト、グラントリノを運転するタオが遥か道の彼方に消えてゆく。

そして広がりがある構図で映画が終わります。なぜそんな構図で終わらせたのか?

広がりあるアングルで描き出したかったのは、バトンを受け取った若者の持つ無限の可能性を表現したかったからではないか、と、ぼくは思うのです。


『グラン・トリノ』と『ダーティハリー』

クリント・イーストウッドの演じた過去作品に『ダーティ・ハリー』シリーズがあります。

『グラン・トリノ』でコワルスキーが人差し指を銃口に見立てて、ワルたちに向かって撃つ仕草をします。それも何度か。

このシーンは明らかに『ダーティハリー』への自己オマージュでしょう。

その手の仕草が、ぼくにはマグナム44に見えてしょうがなく、ニヤニヤして見ていました。

(シナリオ上必須のシーンですけど、明らかにファンサービスでもあった、と思います。)

また、『ダーティハリー3』(1976年公開作品)で、主人公のハリー・キャラハン刑事が新米女性刑事を載せていた車がグラン・トリノなそうです。

そんな裏も知るとますますニヤニヤしてしまいます。



『グラン・トリノ』ぼくの評価

五つ星です。

クリント・イーストウッド監督作品の中でももっとも好きな作品です。2時間以内という上映時間も良いです。

多くの方に見てほしいです。

『グラントリノ』が気に入った方へオススメ映画はこちら!

『グラントリノ』の老人コワルスキーが少年タオにあれこれ教えるくだり、すきです。

もしそんなシチュエーションが気に入った方にオススメ映画が『とらわれて夏』。

こちらは脱獄囚と少年の関係ですが、しみじみと迫る佳作です。

当サイトでもレビューしていますので、アンテナ立った方ご覧ください。

『とらわれて夏』ネタバレあらすじ・考察・解説・評価|遠い記憶に語りかける佳作!
スリラー×ラブストーリー×思春期男子夏への扉...といった、なんとも贅沢な掛け合わせの『とらわれて夏』。タイタニックで世に出た女優ケイト・ウィンスレットが「え?この人ケイトなの?」と思わせるほどの別人的演技で最後まで引っ張ります。

『とらわれて夏』の公式サイトはこちらです↓

https://paramount.jp/torawarete/



『グラン・トリノ』配信先は?

以下サービスで配信、またはレンタルできます。

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