『華麗なるヒコーキ野郎』、原題は『The Great Waldo Pepper』。1975年のアメリカ作品です。
名作『スティング』のスタッフ・キャストで撮られたムービーです。ジョージ・ロイ・ヒル監督と主演ロバート・レッドフォードは『明日に向って撃て!』『スティング』に続く3本目の共作でした。
描かれるのは『明日に向って撃て!(1890年代)』『スティング(1930年代)』と同じく「過ぎ去りゆく古き良き時代」。第一次世界大戦後、複葉機と空に人生を掛けた、大戦生き残りのパイロットたちが主人公の映画です。
監督・原案ジョージ・ロイ・ヒル、脚本ウィリアム・ゴールドマン、撮影ロバート・サーティース、編集ウィリアム・レイノルズ、主演ロバート・レッドフォードの名作チーム。さて、どんな空がスクリーンの向こうに広がっているでしょう?あらすじ、感想から、音楽のこと、登場する機体のことまでレビューします。
『華麗なるヒコーキ野郎』のあらすじ紹介します
時代は、1920年代。第一次世界大戦後、元空軍パイロット、ウォルド・ペッパーは、複葉機で各地を回り、遊覧飛行や曲芸乗りを生業としていた。
ある日、ペッパーが縄張りにしている町に同業者のアクセル・オルソンがやってくる。
いがみ合う二人。オルソンはペッパーにタイヤを外され着陸に失敗する。
その夜、映画館で知り合ったメアリーとペッパーはバーで、ドイツ空軍撃墜王ケスラーとの空戦でケスラーの騎士道精神の話をする。
しかしそこに現れたのは、オルソンだ。オルソンはペッパーがメアリーに話していたその部隊に実際所属しており、「ペッパーいなかった」ことを暴露。ペッパーの嘘はばれてしまう。口説き失敗のペッパー。
当時、曲技飛行興業主は、次々と新しい刺激を求めていた。ペッパーは友人エズラが開発中の単葉機で、至難の業「逆さ宙返り」をやり遂げようと、資金を得るために興行師ディルホーファーに自身を売り込む。
しかし技がないペッパーは採用されない。そこでペッパーはオルソンと組み、新たな曲技飛行を考え、曲芸飛行隊に採用される。
しかし次第に曲芸に「過激さ」を求める観客。暗にのぞむのはパイロットの失敗=死だ。時代は無常にも変わっていく。
ディルホーファーはそんな客たちのため、メアリーを飛行機に乗せることを思い付く。彼女も乗り気になり、オルソン操縦の飛行機の翼に乗り注目を集めるが、恐怖のあまり転落、死んでしまう。
そんな事故の経緯で、航空関係の役所に勤めているニュートにあう2人。ニュートは戦時中の元上官だ。2人は操縦免許をとりあげられてしまう。
空を飛べない自分たちに存在価値はない。そう考えた2人が向かったのはハリウッドだ。彼らは無免許を隠し、スタントマンとして売り込み、危険なエアスタントの仕事にありつく。
奇遇にも、第一次世界大戦舞台の一本の映画がクランクイン。その映画のスタントパイロットとして映画に関わることになった2人。そこに現れたのは、噂に高いかつてのドイツ空軍のエースパイロット、ケスラー。
2人とケスラーを結ぶ糸は、クライマックスへと絡み合っていく…。
そんなストーリーです。
『華麗なるヒコーキ野郎』あらすじ~ネタバレ結末まで
以下は結末あらすじ〜ネタバレです。映画を観る方は読まないでくださいね。
撮影当日、飛行機に乗り込んだペッパーとケスラーは脚本を無視、ドックファイトを始める。
オルソンとニュートも2人の戦いを見守る。互角の戦いを繰り広げる2人。ペッパー機の尾翼が傷つき、ケスラー機も主翼が破損。
ペッパーとケスラーは互いに並走、無言の笑顔で敬礼を交わした後、ペッパーはケスラー機から離れ、はるか雲間へと消えていった。
『華麗なるヒコーキ野郎』レビュー・古い映画だけど、どうなの?
2023年再見したのですが、確かに映像自体は古さを感じさせます。スクリーンサイズだって昔のそれです。ですが、シナリオが素晴らしいです。がっちり作り込まれています。古さを感じさせません。一気見でした。
良い映画って時代を超えるものだな、と、あらためて思いました。
冒頭3分、『華麗なるヒコーキ野郎のマーチ』が流れ、スタッフキャストクレジットが流れますが、その冒頭3分が超絶に素敵すぎます。
この素敵さがすでにこの映画の「観るべき映画」と暗に語っています。
『華麗なるヒコーキ野郎』レビュー~名画はオープニングにあり♩
アメリカの片田舎、一人の男の子が犬と共に釣りをしている。すると飛行機の爆音が。
→少年はたまらず笑顔で駆け出す。
→一機の複葉機が着陸、男が降り立つ。主人公のウォルドペッパーだ。(ロバート・レッドフォード)
→彼は集まってきた住人に「遊覧飛行はいかがかな?」と絶妙な口上で売り込みはじめる。
→ニコニコする少年は乗りたくてしょうがない。でもお金はない。
→そんな少年にペッパーは「ガソリンを買ってきてくれ、お礼は最後の遊覧飛行だ!」とガソリン缶を渡す。
→嬉々としてガソリンを買いに走る少年。
→一連の遊覧飛行が終わり、売り上げを数えているペッパーの傍に立った少年は「いよいよぼくの番だ」とニコニコ顔でペッパーを見上げる。
→そこにペッパーはそっけなく「ガソリン買ってきてもらうための口実だよ」
→少年の目は一転寂しそう。。。
→するとペッパーの表情が一瞬かわって…ここでBGMに流れているマーチの音楽が転調〜♩このタイミングがすごい♩〜、あわせて次カット、『嬉しそうに複座の前部にワンちゃんと乗って空を飛んでいる少年とペッパー』となります。
↑この3分だけで、嬉し涙が流れてしまいました。
主人公ペッパーの良くも悪くも人間的な性格、空を飛ぶ楽しさ、そして映画音楽の素晴らしさを印象付ける名シーンです。
『華麗なるヒコーキ野郎』映画制作の舞台裏を覗く楽しみ
監督ジョージ・ロイ・ヒルの映画へのラブさは、彼の撮った『リトルロマンス』でもあちこちで爆発していますが、本作も例外ではありません。後半、古き良きハリウッドでの映画撮影舞台裏が、大事なシークエンスとなってストーリーを支えています。
食うためにスタントマンとなったペッパーたちパイロットの「撮影シーン」はニヤニヤものです。こういう映画制作へのユーモアを挟むところが、ジョージ・ロイ・ヒル面目躍如ですね。
余談ですが、ジョージ・ロイ・ヒルの生まれた家は新聞社を待っていたようです。ある意味ジャーナリスティックな視点を持っていないと裏ネタは作れませんから、そんな舞台裏シーンが生まれる理由には、彼の出自が関係しているのでは?と、ぼくは思ってしまいます。(当たってるかどうかわからんけど)
『華麗なるヒコーキ野郎』変わりゆく時代へのオマージュならジョージ・ロイ・ヒルだ
監督はジョージ・ロイ・ヒル。ぼくが指折り大好きな監督ですが、意外と寡作です。その彼の昼の作品に、名作『明日に向かって撃て!』があります。(原題BUCH CASIDY &SANDANCE KID)
その映画でも、テーマとなっていたのは、西部開拓時代から取り残されていく男たちの哀愁でした。時代へのノスタルジアを描くのが、めちゃうまいなあ、、、と思います。
本ムービーでも、曲技飛行の時代が終わりかけ、かつて花形だった戦闘機パイロットの生き残りたちが職にあぶれ、身をやつしていく様子が描かれます。
制作当時、『古き良き時代へのオマージュ』的映画とも思っていました。
しかし、IT技術の移り変わりが目まぐるしすぎる今、この映画はぼくらの日常にもさまざまな問いを投げかける映画だ、と、2023年の今観て改めて感じました。
パイロットたちの姿はAiに席巻されつつあるぼくらの姿
ウォルドペッパーが時代の流れに乗れず、騎士道へのこだわりを捨てきれず、結果取り残されていく姿は、今の、明日の、Aiに席巻されつつあるぼくらの姿のような気がするのです。
「あなたの好きな〇〇はすでに古く今では通用しないんだよ」
誰かにあなたがそう言われたら、どんな気持ちになるでしょうか?
2023年に観た『華麗なるヒコーキ野郎』はそんな問いをも突きつけて終わりました。
時代と共に映画の価値は変わっていく、と、最近思います。
古い映画が四半世紀越えて、逆に新しい問いを掲げるようになりえるんだな…と思いました。
時代に取り残されてゆく人々への、ジョージロイヒルの叫び
そうそう、クライマックスの空中戦シーンで、操縦免許を取り上げたにっくきお役人(元上官)ニュートが、空飛ぶ2機を苦々しく見上げているのですが、その彼が思わずこう叫びます。
『ウォルト!振り切れ!』
泣けます。
ニュートの叫びは、時代に取り残されてゆく人々への、ジョージロイヒルの愛情込めた叫びだったような気がしてなりません。
『華麗なるヒコーキ野郎』ぼくの評価は?
決して派手な映画ではありません。が、作り手のムービーラブ精神に溢れています。当時も今も、90点です。「ムービーダイアリーズ」映画の殿堂入り決定ムービーです。
『華麗なるヒコーキ野郎』スタッフ・キャスト
監督・原案 ジョージ・ロイ・ヒル 脚本 ウィリアム・ゴールドマン 撮影 ロバート・サーティス 音楽 ヘンリー・マンシーニ
ジョージ・ロイ・ヒル監督は、自身も海兵隊パイロットでした。第二次世界大戦と朝鮮戦争で実戦を経験しています。空を実際に知っている監督だから作ることができた映画だったんですね。監督だけではなく、原案も彼です。ちなみに脚本は名手、ウィリアム・ゴールドマン。『大統領の陰謀』『ミザリー』『マラソンマン』『アトランティスのこころ』と名作脚本を手がけています。
キャスト ロバート・レッドフォード /ボー・スベンソン /スーザン・サランドン /マーゴット・キッダー /ボー・ブルンデン /パトリック・ヘンダーソン・jr(ファーストシーンの少年役ーめちゃくちゃヨイです!)
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