一人の老人が、アルゼンチンからポーランドを目指す』ロードムービーが、『家へ帰ろう』です。2017年スペイン・アルゼンチンの合作映画。
ロードムービーではあるけれど、老人の旅の背景には第二次世界大戦のユダヤ人迫害の記憶が隠されています。
なぜ老人はポーランドを目指すのか?それは「1945年のあの日の約束」を果たすためでした。88歳の歩くこともままならなくなってきた老人アブラハムの『家へ帰ろう』と決意した旅はどんな旅立ったのでしょうか?
『家へ帰ろう』映画のあらすじは?
旅のはじまり
アルゼンチン・ブエノスアイレスで仕立て屋を営んでいた老人アブラハムは、足が悪くなってきたことを理由に、子供たちから老人ホームを手配される。
しかし、アブラハムは一着のスーツと旅行鞄を準備し、スペインまでの航空券とポーランド行きの切符を手配する。
フライト
アルゼンチンを発った旅客機の中、アブラハムの隣の席にはイマドキの若者レオナルドが。
アブラハムはレオナルドのイマドキ具合が面白くない。
つまらない質問を浴びせ、他の席に立たせてしまう。
マドリッド
入国審査でアブラハムは入国拒否されかかっていたレオナルドを期せずして助けることに。
レオナルドはお礼にとアブラハムをホテルまで送り届け、マドリッド滞在中のドライバー役を買ってでる。
トラブル続きのマドリッド滞在。
しかし、ホテルの女主人とレオナルドの助けでパリ行きの特急列車に乗り込む。
特急列車
ポーランド行きの電車は。パリでドイツ経由の汽車に乗り換えが必要だった。
パリ東駅で係員に「ドイツを通りたくない」とごねるアブラハム。しかし言葉が通じない。
見かねた一人の女性人類学者が助け舟を出す。
そしてアブラハムが女性人類学者にぽつぽつ話す中で、彼のポーランド行きの目的が徐々に明かされる。
ホロコースト
アブラハムの過去。それは、青年時代の記憶だ。ユダヤ人収容所から命がけで脱出し、傷ついたアブラハムは、親友から助けられる。
親友はアブラハムのアルゼンチン行きをお膳立てし、アブラハムは親友に「必ず仕立てたスーツを届けに会いに帰ってくる」と約束を交わしていたのだ。
ドイツ
汽車はドイツを通過する。車中で交わされる乗客の会話はもちろんドイツ語だ。
そんな車中、チスの負の記憶がアブラハムを襲う。
混乱した記憶に意識を失い、倒れるアブラハム。
ポーランド
意識が戻るとそこはポーランド・ワルシャワの病院だった。
アブラハムのことを気にかける付き添い看護師ゴーシャは、アブラハムの目的地の町ワッツまで車で送る役を買って出る。
道中アブラハムは、ホロコーストの過去を詳しく話す。
『家へ帰ろう』あらすじネタバレラストまで〜閲覧注意!
ここからは閲覧注意です。『家へ帰ろう』を観たい方はスルーしてください。
アブラハムとゴーシャはアブラハムの記憶の街に辿り着き、住所を探す。
朧げな記憶が頼りだ。
一軒、また一軒と尋ねるが親友らしい影はない。
諦めかけたその時、朧げな記憶が一つの窓にアブラハムを引き寄せる。
窓の向こうに座る一人の老人。
親友は生きていた。
邂逅の時がそこに待っていた。
そんな映画は二人の再会で終わります。
『家へ帰ろう』感想です
アブラハムと、次を担う世代をどう捉えるか?
『家へ帰ろう』では、主人公の老人アブラハムとその子供たちや旅を通して出会う次世代の若者との「老い」をめぐる確執が描かれます。
『家へ帰ろう』はホロコーストがテーマの物語ではあるけれど、その前に、「老いと家族」「老いた者と次世代の人々」という、どこにでもある問題が描かれるのです。
歩くこともままならなくなった老人である父アブラハムを、老人ホームに入れようとする子供たちがいます。
また、旅先でアブラハムは助けようとする若者や人類学者、そして看護師がいます。
ぼくは最初、アブラハムを老人ホームに送り込もうとする子供たちを「ひどいなあ。それはないよ」と思いました。
しかし、映画を観終わって、このレビューを書くまでの数日間に、考え方が変わりました。
そんな存在をアブラハムは拒絶したり甘えたりします。それは見方によっては、わがままし放題とも捉えることができます。
ぼくは正直、こう思いました。
「老人だから、ホロコーストにあった過去があるからといって、はたして次世代に自分の意思をゴリ押しすることは、正義なのだろうか??」と。
高齢化が世界的に進む中で作られたこの映画、『家へ帰ろう』は、時間をかけて考えなければいけない映画だ、と、ぼくは思いました。
若者の態度に腹を立てるアブラハム。
女性人類学者の厚意を無視するが如くのアブラハム。
それは想像を絶するホロコーストを生き抜いたアブラハムが心におった傷は計り知れません。
けれども、だからといって、ホロコーストを知らずに生まれた世代を一方的に否定することは、それもまた間違った態度である、とぼくは感じたのです。
そう感じた時に、はた、と、思いました。
「『家へ帰ろう』の制作陣の意図は、ホロコーストや世代の移り変わりへの、いくつかのクエスチョンを突きつけることだったのではないか?」と。
ホロコーストシーンはどこへいった?
『家へ帰ろう』を観終わっての数日間、実はある考えが、頭の中を堂々巡りしていました。
それは、「ナチスの所業で傷を負った主人公のロードムービーに、なぜに収容所シーンがないのか?」ということでした。
そうなのです。ネタバレになりますが、『家へ帰ろう』の中で、収容所のシーンやナチスの所業をダイレクトに映し出すシーンは、ワンカットとしてありません。
若きアブラハムが傷ついた足を引きずり逃げてくるシーンや、親友に助けられるシーン、ナチスの兵士たちが遊び呆けるシーンはあるのですが、いわゆる「絶滅収容所」の様子は、一切映し出されません。
「何が収容所でアブラハムの身に起こったのか?」は、そんな間接的な映像やアブラハムのセリフだけで表現されるのです。
観客に問いを突きつける
『家へ帰ろう』では、観客に様々なクエスチョンを投げかけるため、あえてそのような間接的な表現をとったのではないか?
収容所の凄惨さをシーンとして再現すれば、確かにドラマチックになったと思います。
『家へ帰ろう』はそんなシーンをあえて避け、淡々としたロードムービーにしています。
そのことによって「老いに任せて負の歴史を伝えるのが大切なのではない。次世代への愛情と友情こそが何より大切なことなのだ」というメッセージを伝えたかったのではないかしら?
と、ぼくは思いました。
だって、ラストは「親友との邂逅が待つ友情ハッピーエンド」ですから。
『家へ帰ろう』ぼくの評価は?
『家へ帰ろう』を観て、以上書いたように、ぼくは結構「考える時間」を使いました。
その考えた結果は、間違っているかもしれません。いや、多分間違っているのでしょう。
でもぼくは、自分が『家へ帰ろう』への感想を掴めたことで、自分なりに映画を見てモヤモヤしていた気持ちに整理がつきました。
しかし、『家へ帰ろう』を観る人全てが、このドラマで色々考えるとは、残念ながら思えません。
もう少し、老人アブラハムの心の内を、何らかの言葉として表して欲しかったし、負の歴史の解説=若き日のアブラハムの描写がもう少しほしかった。
また、ラスト近く、目的地に近づくくだりで、「助手席に座るアブラハムとハンドル握るゴーシャの映像」に、ホロコーストの過去が「アブラハムのセリフ」として被さり説明されますが、その結果、物語への集中が削がれてしまいました。
様々な映画賞で高評価だったとのことですが、ぼくはちょっと残念感があったロードムービーでした。
高齢者の旅を題材にしたロードムービーとして『君を想い、バスに乗る』があります。こちらは主人公90歳設定。老いを『家に帰ろう』とは違ったテーマで描いています。当ブログでもレビューを取り上げていますので、よかったらこちらからどうぞご一読ください。
『家へ帰ろう』監督・キャスト
監督・パブロ・ソラーツ
アブラハム:ミゲル・アンゲル・ソラ レオナルド:マルティン・ピロヤンスキー ホテル女主人アンジェラ・ボリーナ 女性人類学者:ユリア・ベアホルト ゴーシヤ:オルガ・ボゥオンジ
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