こんにちは!映画好き絵描きのタクです。今回取り上げる映画は、『ランド 再生の地』(2021年:アメリカ作品)です。
大自然は美しく素晴らしいものです。けれど、同時に底の深い怖さをも併せ持っています。森にアトリエを構えている運営人のぼくが言うのですから、たぶん間違ってないと思います。
映画『ランド 再生の地』の女性の主人公は、都会の暮らしを捨て、ロッキー山脈のただなかにワイルドライフを暮らしはじめます。
しかしどうやら彼女のワイルドライフは、好き好んでの森暮らしではないようです…いったいなぜ、彼女は山中で暮らそうと思ったのか?森の中で、何が起こったのか?
それでは『ランド 再生の地』をレビューしてみます。
『ランド 再生の地』2021年 アメリカ映画 89分 監督・主演=ロビンライト
『ランド 再生の地』あらすじ
都会に暮らす主人公エディ。心理カウンセリングを受ける彼女は心に傷を負っているようだ。
彼女はそんな心を癒すべく、ロッキー山脈の人里離れた山中に山小屋を手に入れる。
携帯電話も車さえも手放し、森の暮らしを始めるエディ。
しかし、斧もノコギリも使えない彼女に対し、森は、山は情け容赦がない。
山小屋を荒らす熊。狩猟などしたことのない彼女は、大自然の厳しさに飲み込まれてゆく。
食料も尽き、薪さえ割れないエディは、ロッキーの冬、死の一歩手前まで追い込まれる。
偶然にも猟で小屋のそばを通りかかった、二人の男女、ミゲルと看護師のアラウワに助けられるエディ。
入院を勧めるアラウワ。しかし断り、あくまで山小屋での暮らしにこだわるエディ。
なぜにそこまで世間との隔絶にこだわるのか?
仕方なくミゲルは、森で生きていくために必要な「狩猟の仕方だけ教える」と、エディに申し出、エディは受け入れる。
時おり、小屋に様子を見にくるミゲル。
だが、ある日エディにこう伝える。
「しばらく来られないことになった。犬を預かってくれるだろうか?」
季節は変わり、ロッキー山脈の森からリュックを背負い町へと向かうエディ。
あれほど社会との断絶を求めたエディが町へと向かう目的は、一体なんのため?…
といった感じのあらすじです。
『ランド 再生の地』〜感想・考察〜
オープニングの掴み上々
映画『ランド』冒頭、主人公のエディは心理カウンセリングを受けるシーンで始まります。
このシーンからエディは心に何かを抱えていることに気づきます。そして、早くもクルマでロッキー山脈を目指すシーンへと移ります。その移動シーンでカメラの美しさに息を呑みました。
掴みはOKのオープニング。快速、ストレートな映画のスタートです。
群を抜くカメラの美しさ。
人里離れた山中にクルマで向かいます。
彼女は、アウトドア用品店でクルマに積めるだけの食料、オノ、リュックなどを買います。
そしてエディと共に、ぼくら観客は大自然の中へと入っていきます。
息を飲むロッキー山脈の美しさです。
自然の凛とした空気を見事に切り取ったカメラが素晴らしいです。見ものですよ。
日本では残念ながら配信でしか観られません。わがまま言うならば、大自然と心のうちを捉えた映像は、映画館の大きなスクリーンで観たかったです。
美しさが逆に訴えてくること
美しいシーンは、それが次々に続くと逆に、不思議なんですが、「おいおい、自然ってさ美しいだけじゃないよな。同じくらいに、あるいはそれ以上に過酷なはずだよ」と徐々に思ってしまうぼくがいました。
これ、実は意外と監督は計算ずくで、自然の美しさを畳み掛けたようにも思えます。
人間には太刀打ちできない「怖い自然の摂理」を美しい映像から感じてしまうのは、僕ら人間が太古からの記憶としてDNAレベルで持っているから、、、なのかもしれません。
斧が振れないエディ
エディがアウトドアライフの素人であることは、彼女が薪を作るシーンですぐにわかります。
ノコギリが使えない。
斧が振れない。
薪が切り出せない。
結局薪ストーブに何をくべるのか?
持ってきた本のページを破って火種にします。
そのシーンですでに観客に対してこのままでは命さえ危ないのでは?と思わせます。
彼女のサバイバルスキルの無さを言葉少なに解説するくだりは、実にスマートと感じました。
命の危機
冬がやってきます。
そして、熊、登場。
熊が小屋内部を荒らし、エディの持ち込んだ小麦や缶詰といった食糧が尽きかけます。
このあたりでぼくは、エディのスキルなき山小屋暮らしは、ただの隠遁生活ではなく、命を断つための選択肢だった、と気づきました。
ミゲルの助け
エディは死にかけます。
しかし、偶然にも狩猟で通りかかったミゲルとアラウワに助けられます。
しかし、助けられてもエディはなかなかふたりに心をひらきません。
見かねたミゲルは森で生きるための狩猟の方法を教えます。
しかし、それはマーケティングスキルやパソコンスキルのような術ではありません。
動物の命を奪い、さばき、我が身に取り込むという、究極の命の術です。
真の生きる術をミゲルから授かる中でしかし、エディの心に変化が現れます。
命を無くす怖さへの感情がマヒしていたエディが、動物の命を奪うスキルを獲得したことで、逆に心は再生へと向かっていきます。
「命を奪うことが己の命の再生へとつながる」という自然の循環の真理がありますよね。「食べること」は、命を保ってことですが、同時に「奪うこと」です。
ミゲルからエディが狩猟を教えられる一連のシーンは、観る側に「命ってさ…」と、気づきを求めるシーンだと思います。
『ランド 再生の地』がくれたメッセージ
ラストでぼくが映画『ランド 再生の地』から受け取ったメッセージは、以下の一文につきます。
「人は知らぬまに人を支え、知らぬまに支えられている。意識なんかしなくても大丈夫、あなたは知らず知らずに誰かを助けてる。そして誰かから助けられてもいるんだよ」
『ランド 再生の地』を見終わって、ぼくは、似たメッセージを書いた本を知っている…そんな感覚に陥りました。
その本は、運営人のぼく原案で出版された絵本です。ごめんなさい、手前味噌で。
『一本の木がありました。』(くすのきしげのり:文・企画/ふるやまたく/原案:絵/出版社/パイインターナショナル)といいます。
ぼくが絵本に込めたかった思想は、まさにエディとミゲルの関係をべつの表現に変えたものだったのです。
『ランド 再生の地』ぼくの評価は?〜ネタバレ結末あり〜
評価は一部『ランド 再生の地』のネタバレになります。ご注意ください。
ラスト、観客は、エディとミゲルの、共通点を知らされます。「唐突に訪れた配偶者と子供の死」です。
共に不幸を背負った二人でしたが、命の再生が必要でした。
たまたま、出会った二人は、たまたまに、互いに魂を救ったのです。
お互いに、そんなことは、これっぽっちも考えもせずに。
『見えないところで誰かが誰かを支えてる。それも知らぬ間に気づきさえもしないうちに。
だから人生は素晴らしいんだよな、、、』
そうかんじた映画でした。
エディとミゲルの交わすセリフにこんな言葉があります。
「なぜ助けたの?」(エディ)
「たまたまだよ。」(ミゲル)
こう書いてしまうと、な〜んてことない二言ですが、映画に入りこんで聞くこの二言は、ずっしりと響いてくるセリフなのです。
『ランド 再生の地』=ズバッと単刀直入わかりやすい映画が好きな方には、不向きかもしれません。
『ランド 再生の地』=心の動きや、ドラマの行間を想像することが好きな方には、楽しんでもらえると思います。
ぼくは、映画のシーンを深読みするのが好きなので、この映画は愛しき一本となりました。
『ランド 再生の地』音楽のこと
オープニングで流れる女性ボーカルによる『I`m on fire』、とても素敵でした。原曲はブルース・スプリングスティーンですが、女性ボーカルとロッキー山脈へのシーンがマッチしていました。
『ランド 再生の地』キャスト
エディ(主人公):ロビン・ライト 本作の監督も手がけています。出演作としては『フォレスト・ガンプ一期一会』『ワンダー・ウーマン』『ブレードランナー2049』ほかがあります。
ミゲル(アラウワとともにエディを救う猟師):デミアン・ビチル メキシコ出身俳優。出演作としては『明日を継ぐために』『エイリアン・コヴェナント』などがあります。
アラウワ(ミゲルの友人。エディを救う看護師):サラー・ダウン・プレッジ
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