『しあわせの絵の具』は実話映画です。正式日本公開タイトルは、『しあわせの絵の具 愛を描く人モード・ルイス』
モード・ルイスという画家は映画を見るまで知りませんでした。
カナダの画家で、ニクソン大統領まで顧客だったといいますから、たぶんカナダはもとよりアメリカあたりでもメジャーな画家なんだろうと思います。
大統領がクライアントって、日本で例えるなら、皇室御用達レベルですよね。画家は履いて捨てるほどいるし、美術館で展覧会開かれる画家はほんの一握り。
ましてや映画になった画家はたぶん両手の指くらいかも。パッと思い出すところでは、モジリアーニ、ゴッホ、セザンヌ、ターナーといったところでしょうか。
そんな画家映画のラインナップに加わったのが、名知らずのモード・ルイス。
知らずば知ろう、というわけで、観ました、『しあわせの絵の具 愛を描く人モード・ルイス』。
絵描き目線アリ&ネタバレアリのレビューです。
『しあわせの絵の具』あらすじは?
舞台はカナダの小さな漁村。絵を描くことが好きなモードは叔母と暮らしている。モードは、村の雑貨屋の求人広告板で家政婦募集のメモを見つける。メモの主は魚の行商人=エベレット。叔母の元から離れたいおモードは、独り立ちするためエベレットの家に向かい家政婦の職を請う。
リウマチが持病の、村社会で上手く生きる術を知らないモードと、孤児院育ちの、無骨で無口なエベレット。小さな掘建て小屋のような家で、二人の同居の日々が始まる。
衝突ばかりの二人だが、やがて二人は結婚。
家事の合間を見て、モードはわずかな画材でひたすらに絵を描く。もちろんモードは絵など習ったことはない。アトリエは窓際に置かれた小さなテーブルの上だ。
しかし、そんな彼女に一つの転機が訪れる。バカンスシーズンだけ都会から村にやってくる一人の女性が、モードの絵に才能を認め、モードに絵の制作を依頼する。
水を得た魚のように筆を動かし、オーダーに応えるモード。小さな家の前に「絵を売っています」の看板を出すようになる。モードの絵はいつしかクチコミで広がり、小さなアトリエ兼掘建て小屋は客が次々訪れるようになる。そしてある日、アメリカ大統領から絵の依頼が舞い込む……。
というストーリー、ちなみに実話です。
『しあわせの絵の具』ネタバレあり感想レビュー
輝きと暗さは表裏一体
あらすじでも書きましたが、モードは重度のリウマチです。歩くことさえ大変なほど。それは辛そうです。でも、観終わってこう思いました。
他人が「ある人の人生」を俯瞰した時、ハンディは光り輝くための暗い背景となるんだな、と。
絵で描く「光」って、ダークな背景があって、ようやく描きだせるんです。
リウマチを患った友人からその痛さを聞くと、それはハンパないようで、そんなこと言ったら「知ったようなこというんじゃねー!」と怒鳴られるに違いないけど。でも光はダークがあって輝くんです。
とにかく、そのハンディの演技が、全編に崇高なトーンをもたらしていました。
サリー・ホーキンズ演ずるモードと、ぶっきらぼうの極みのダンナ、エベレットに扮するイーサン・ホークが、それぞれ真逆な個性を際立たせ、陳腐な愛の物語にしていません。そこんところが、この映画の最大の魅力です。
孤児院育ちで、とことん人付き合いが苦手なダンナ。どこまでも無愛想です。ホームドラマならどこかに「人の良さ」を忍ばせたりするものですが、それすらほぼ、ない。
彼の存在が、社会からつまはじきにされている孤独な二人を際立たせつつ、次第に物語を温かい空気でつつんでいくように感じました。
なんで温かい気持ちで見終えたか?
そこにはぶっきらぼうで乱暴なイーサン・ホークの演技という背景があってこそ。そう感じました。
モードの画材は空き缶とペンキ
モードの持っている画材は、一掴みの使い古した筆と、たぶんそこいらで売っているペンキ、そしてパレットがわりの空き缶です。
運営人のぼくの仕事も描くことですが、仕事場に転がっている画材は、プロ用の絵の具や筆、パソコンにはペイントアプリが一通り装備、そんな環境です。
しかし、この映画でモードが手にする道具を見て、バットで殴られたような衝撃と感動がありました。さらに言えば、恥ずかしくなった。
時代が違うと言えばそれまでかもしれませんが、そうではない。
「表現に大切なのは道具ではなく、あくまで感じ、慈しむ心であるんだよ」と映画の行間がずーっとぼくに語り続けていました。
お絵描き仕事してる方、描くことが好きな方、必見だと思います。
「殴られる」なんてぶっきらぼうな言葉を使ってしまったけど、モードを支えるダンナ、エベレットのぶっきらぼうさは筋金入りです。(映画の上では)
しかし、ぶっきらぼうエベレットとの対比が、全体を引きしめ、小さいけど可愛い映画にしています。小さな漁村が舞台も相まってか、とっても可愛い映画です。
「うまい絵」と「しみいる絵」の違い
モードの絵が劇中登場します。それらは花を絵描いたり、家畜を描いたりと日々の家の周りのことや多分彼女の記憶に温かさをくれたものを描いています。
それらの絵は、「うまい絵」かと言われると決してうまくはありません。むしろ、ワザの面で上手か下手か?と問われたら、下手な絵です。実際彼女は芸術の専門教育を受けていません。多分、絵画技法のことも、画材のことだって詳しく知らなかったと思います。そんな絵です。モードはただ「描く」ことが好きなだけで絵を描いているんですね。
よく「絵って、見方がわからない」という言葉を耳にします。ぼくも展覧会によく行きます、有名無名の作家問わず、いつも見るときに大切にしていることは、「絵がぼくに響いてくるか、響かないか」です。どんなにうまい絵でも響いてこなければ残念ムービーならぬ残念絵画です。
なので、ぼくは絵画展の入り口に貼ってある挨拶文やキャプションは最初に読みません。順番にもみません。まずは会場内の真ん中に立ってぐるっと壁の絵を見回します。それは「どの絵が響いてくるのか。しみてくるのか」のサーチです。それから響いてきた絵と向き合って、じっくり心の対話をします。
そう、別に評論家や美術番組の復習、受け売りをしなくていいんです。「見方がわからない」という方は、響くか響かないかで絵を見ると面白いと思います。
おっと、話がそれました。モードのことに戻しますね。
モードの描いた、一見幼稚にさえ見える絵が何故にあんなにも支持されたのでしょうか?
描くということは、見つけて興味惹かれた対象にとことん意識を注いであげることです。慈しむ心がそこには必要です。絵が上手になればなるほど、普通の人は「もっと上手くなりたい!」と技術の向上を目指します。そして、そう、ついつい「技術のブラッシュアップ」が「描く目的」となり、対象を慈しむ気持ちがないがしろにされがちです。
モードは、下手でした。絵画教育を受ける環境にもありませんでした。絵を習いたい、、、なんて思いもよらなかったと思います。そして、日々、彼女は多分、「上手に描こう」なんて、これっぽっちも思わなかったんだと思います。だからこそ、モードの描く対象に対しての「慈しみの心」は、他の画家のそれを遥かに上回っていた。
彼女の絵が響いてくる理由は、多分、そこです。「慈しみの心」をほかの言葉に置き換えるなら、そう、「愛」です。
彼女の一見下手くそに見える筆致からは、最上級の「愛」がほとばしっているのです。
劇中で女優サリー・ホーキンスの描くシーンには「描く人の愛」が見えていました。絵描きのそんな面まで演じ切る….すばらしい役者さんだと思いました。
何を愛おしく感じるか?
ぼくはよく田舎へ絵を描きに行きます。そうすると、例えば山奥の小村で腰を曲がったおばあさんが庭の花々の手入れしてたりする。誰かに見せるわけでもなく。名前もわからないような山村で、です。
でも、その姿を抱きしめたくなって、絵描きはその感覚を絵筆に託したりするわけです。
モードが日々小さな家で重ねてたことは、なんてことない、そんな日本の山村で花の手入れするおばあちさんがやっていることと、なんら変わりないことだ、と、感じました。
うーん、回りくどいな、レビュー結論、何を言いたいか。
『身の回りに散らばっている小さな美しさをいくつ「みっけた!」か。人生にはそれが大切なんだよ』
それが、「切な可愛い」映画からぼくが受け取ったメッセージでした。とーっても好きな映画でした。ぼくの評価は絵描き目線もありで、10点中9点♪
『しあわせの絵の具』スタッフ・キャスト
監督・脚本/アシュリング・ウォルシュ
キャスト/サリー・ホーキンズ イーサン・ホーク
2016年製作/カナダ・アイルランド合作 原題:Maudie
『しあわせの絵の具』受賞歴
四つの映画祭で受賞していますので、以下に書き留めておきます。
第28回シネフェストサドバリー国際映画祭・観客賞 / 第6回モントクレア映画・観客賞 / 第35回バンクーバー国際映画祭・観客賞 / 第12回ウィンザー国際映画祭・観客賞
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