こんにちは!運営人の映画好き画家・タクです。今回のムービーダイアリーズレビュー作品は『雪山の絆』。2023年公開・スペイン・アメリカ合作映画です。
1972年、ウルグアイ空軍旅客輸送機機571便のアンデス山中墜落事故を起こしました。その事件の際、45名の乗客が奇跡的に生存。彼らの人間の生存限界を超える環境に放り出された過酷なサバイバル、生と死、奇跡の生還まで、実話をリアルに描いた映画が、『雪山の絆』です。(同名原作は、ウルグアイ出身のパブロ・ヴィエルチ)監督はスペインのJ・A・バヨナ。
ひとこと、全編覆うは壮絶感です。ノンフィクションサバイバル映画に新たな歴史が加わりました。
ラスト寸前まで延々続く絶望感にあなたは耐えられるか?なんてキャッチコピーが欲しくなる映画です。そんな『雪山の絆』をレビューします。(原題:『La Sociedad de la Nieve』/直訳:「雪の社会」)
『雪山の絆』予告編
では、予告編をご紹介しましょう。
『雪山の絆』解説
『雪山の絆』は実話です。1970年代にアンデス山中で起こった旅客機墜落事故で遭難した人々の人間ドラマです。監督は、J・A・バヨナ。
時は1972年。ウルグアイのラグビーチームを乗せていたチャーター機・ウルグアイ空軍機571便が、アンデス山脈中心部の氷河に墜落、乗客3人と乗員2人が機外に放り出され、12人が死亡(死亡12人、行方不明5人、生存28人)
墜落場所は、寒さと飢え、そして雪崩と、想像を絶する世界。にもかかわらず、極限状態で生き残った乗客たちは生き抜くことを選びます。
映画は、作家パブロ・ビエルチが事故から36年後に書いた本を元になっています。
『雪山の絆』あらすじです
あらすじは公式サイトから転載します。
1972年、ラグビー選手団を乗せてチリに向かったチャーター機、ウルグアイ空軍機571便は、アンデス山脈中心部の氷河に墜落するという大惨事に見舞われました。
乗客45名のうち生き残ったのは29名のみ。
世界で最も過酷な環境のひとつに身を置くことになった生存者たちは、生き延びるために究極の手段を取らざるを得ないことに…
『雪山の絆』結末ラストは?ネタバレにつき閲覧注意!
ここからのあらすじは結末までのネタバレとなります。映画を見る方はスルーしてくださいね。
+ + +
山を下り谷に出た二人は、河岸ではじめて仲間以外の人間に出会います。
馬を連れた地元民です。
そのシーンは観ている方も顔が緩みますよ。
はじめて気持ちが緩んだシーンと言っても良いです。
結末は軍がヘリで救出に向かいます。
生き残った乗客らが助けを待つ間にあることをします。
それは身繕い。
数ヶ月風呂にも入れずの真っ黒な垢だらけの顔の皆が、髪に櫛を入れ、最大のおしゃれをするのです。
「人はパンのみに生きるものにあらず」には様々な意味があります。
このシーンは人間への回帰といっても良い名シーンだと思いました。
ヘリで救出された生存者は病院に移送され映画は終わります。
『雪山の絆』ぼくの感想
さて、ぼくの感想をいくつか書いておきます。
墜落シーンが衝撃的
冒頭、15分ほどは、事故機に登場するウルグアイのラグビーチーム面々が登場、旅客機に乗り込むイントロダクションです。ちなみに旅客機はこんな小さい機体です(wikipediaより)
1972年という「時代の色」を、色彩、衣装から小道具に至るまで、撮影&美術チームが丁寧に再現しています。
なので、今から50年前の世界に一気にタイムスリップできました。
実話ですので、イントロダクションから程なく、映画は飛行機のアンデス山中墜落シーンとなります。
激突の衝撃力と破壊の描写はすごいです。
多分わずかに数十秒のカットつなぎかと思いますが、よくも45名も命があったものだ、、、と、痛さを感じるカットつなぎでした。
ぼくの欠点…大勢の西欧人が出てきた場合…顔認識がニガテ…
でも、ぼくがいつも洋画を見ていて思うことに「大勢が登場人物となった場合、一人一人を覚えるのがムツカシイ。。。」という難点があります。
『雪山の絆』もやっぱりしっかりとキャラ把握できたのは数人でした。西欧人の顔立ちって、みんな同じに見えてしまう、情けないぼくです…。
『雪山の絆』はどこまでも絶望感が続きます。
機体はばらばら。辛くも生き残った乗客たちが周りを見回すと、四方を険しい山々に囲まれたすり鉢の底です。
カメラがロングで機体前部を映し出すカットから伝わってくる感覚は、「マジですか…こんなとこから脱出できるわけがなんだろう…」という「絶望感」しかありませんでした。
その絶望感は延々と2時間は続きます。
ご飯食べながら観る…は、多分ムリな映画だと思います。
『雪山の絆』生き残るためにとった行動は?
『雪山の絆』で生き残った乗客の手元には、もちろん食料など、ほぼありません。
映画では丁寧に所々で日付けテロップが入ります。そのテロップで「墜落から何日目」ということがわかります。
日付が進むにつれ、乗客の空腹感は絶頂に達します。
では、生き残るためにとった行動はなんだったか?
その答えは、亡くなった乗客の遺体を食すこと、でした。
『雪山の絆』人肉を食べ命を繋いだ衝撃
この事故の事実エピソード自体をぼくは過去に知っていましたので、心の準備はありました。
でも、映像となって観るのはやはり衝撃でした。
実は乗客全員が経験なクリスチャンです。なので、命を繋ぐためとはいえ、人肉食に至るまでの葛藤もあります。
その葛藤もきちんと描かれています。
自分が同じ状況だったらどうしただろう、、、と、必ずや考えるに違いありません。
ぼくが一番キツかったのは、救出されるシーンでチラッと映される骨。
骨を前に乗客同士の「これ、どうする?」みたいな会話がなされます。そのシーンが人肉食シーンよりもきつかったなあ。
『雪山の絆』次々と襲いくる自然の猛威
限界まで達した飢えと酷寒。吹雪になか身を寄せ合う着の身着のままの乗客たち。
想像するだけでも耐えられない絶望感ですが、映画では、「これでもまだ死なないか!」というほどにさらに自然は乗客たちを痛めつけてきます。
絶望をコンクリートで固められたらこうなるよ、という事態が起こります。
それは、雪崩。
雪崩に埋まってしまうシーンではこちらの呼吸まで止まってしまいそうです。
流石に雪崩に埋めれてしまうシーンは、閉所恐怖症の方には決しておすすめできません。
『雪山の絆』考察〜なぜ彼らは助かったのか?
では、なぜ、そんな限界を越えた絶望感の中から彼らは家族のもとに帰ることができたのでしょうか?
信じられないことですが、彼らは絶望に押しつぶされてはいましたが、それでも諦めず希望を持ち続けたのです。
ぼくなら多分発狂しているように思えます。
それでも彼らは助けを求め続けた。
仲間の中で最も体力のある二人が、どこにあるかもわからない助けを求めて、アンデス越えを引き受けます。
前にも書きましたが、雪山に墜落遭難した全員、着のみ着のままです。
ノー△フェイスやモ○ベルのパーカーなど、着ていません。靴だってトレッキングシューズなんか履いてない。
ボロボロの服で山を越えて行きますが、さあ、ここを越えれば……
というところで広がるは、絶景…ならぬ絶望を絵に描いたような風景…。ある意味フォトジェニックな風景なのですが、映画を見ているこちらまで絶望感に打ちひしがれました。
ですが、救いが見えないそんな風景を前にしても、なおも、彼らは歩き続けた。
ぼくはこう確信しています。
「止めず、続けること」が「奇跡を呼び込んだカギ」だったのです。
『雪山の絆』救出された「その後」
『雪山の絆』では救出され、ロス・マイネテス村の病院に保護されて終わりますが、その後はどうだったのでしょうか?
Wikipediaに日を追って「その後」が書かれていましたので転載しておきます。
クリスマス前後がクライマックスになっていたんですね。
12月22日(金)
朝まで山が霧に包まれており、ヘリコプターを飛ばすことができないことにパラードとカネッサは、愕然とした。10月13日に起きた墜落事故を生存者たちが厳しい環境下で生き延びたというニュースは世界中の報道機関を注目させ、その後関係者の下には洪水のようにレポーターたちが訪れた。パラードとカネッサは朝食を摂り、増加する報道陣に会った。彼らは熱心に質問に答えたが、どうやって生存できたかについては話すのを避けた。
午後に、小さな村(ロス・マイテネス村)にヘリコプターが到着した。同乗したパラードによって誘導され、フェアチャイルド機が横たわる墜落地点までの谷を飛び、生存者たちは2人の捜索隊、救出登山家によって救出された。救出されたとき、生存者の数は事故直後の半分以下の16人に減っていた。ヘリコプターの到着は、歓喜に満ちた14人の生存者たちに歓迎された。1回目に救助されることとなった追加の最大積載人員である6人は、救出されることを山に対して感謝した。生存者たちがロス・マイテネス村に到着したとき、彼らは喜びの頂点にあった。草を抱擁し、笑い、転がり回り、自分たちの救出を祝った。数時間後に、全員がサンフェルナンドのセント・ジョン聖病院へ収容された。
2回目の救出飛行は夜間にすることになり、さらに、霧に覆われたアンデス山脈に衝突する危険があるため翌朝まで遅れた。残りの8人の生存者たちは機体の中でもう一夜眠らざるを得なかったが、毛布や衣類、食料と水を手にし、サポートとして医療班と登山家が共に墜落地点にいた。
12月23日(土)
墜落地点に建てられた十字架
午前10時、救助ヘリコプターが機体に残る8人の生存者たちのために墜落地点へ戻った。16人の生存者全員が救助され、喜びの場面が再びロス・マイテネス村で繰り返された。2番目のグループは、最初の救助者グループと異なり、まずチリのコルチャグアへ輸送されてからサンティアゴの国民健康保険病院へ輸送された。生存者の全てがサンディアゴの病院へ収容され、高山病、脱水症状、凍傷、骨折、壊血病、栄養失調の治療を受けた。生存者6人はすぐに退院し、シェラトンホテルへ行った。ロイ・アルレーとハビエル・メトルは、コチェ・インシアルテとアルバロ・マンヒーノが先に収容されていた4人部屋に引き留められた。19時に、アルレー、メトル、インシアルテ、マンヒーノ以外の生存者は皆、シェラトン・デ・サン・クリストバルで再会した。
12月24日(日)
4人が病院から退院し、シェラトンホテルで他の皆と合流した。ロベルト・”ボビー”・フランソイスとダニエル・フェルナンデスはモンテビデオに帰り、それ以外の14人は、クリスマス・イブを一緒に祝った。生存者たちは、救助直後には機内に持ち込んでいたチーズを食べて生き延びていたと説明していたが、家族と詳細かつ内密に議論し、遺体を食べざるを得なかったことを公にしようと考えた。
12月26日(火)
グループは別れ、パラードはサンティアゴを離れてビナ・デル・マールの家に引っ越した。生存者たちは、モンテビデオへ戻るときに記者会見を行うことを計画していた。しかし、機内に残されたままの切り分けられ保存された遺体の写真が救助隊に同行した山岳ガイドらによってリークされ、サンティアゴの新聞「El mercurio」は一面トップで生存者たちの人肉食に焦点を合わせたセンセーショナルな記事を発表した。
12月28日(木)
生存者たちは、モンテビデオへ到着し、ステラ・マリス大学で記者会見を開催し、72日間の生存の試練について説明した。年月を経て、この出来事に関する本2冊と映画2本と公式サイト[5]ができた。
まだ非常に衰弱していたロイ・アルレーはチリに残り、数日後に帰宅した。
救助隊員は、墜落地点から800メートルほど離れた地点に死者の遺体を埋め、石を積み重ね、中心に鉄製の十字架を建てた。機体内に残っていた遺体の残骸は野次馬による損壊を防ぐために焼却処分された。
実際十字架を立てられている墜落地点の現場写真をwikipeiaより転載します
『雪山の絆』ぼくの評価とオススメな人
『雪山の絆』は饒舌になりすぎない、押さえた演出、そして限界感を捉えたカメラと美術の素晴らしさ、さらには俳優の絶望名演で85点を当初付けました。
ですが、二度目に観ても人物個々の違いがアジア人のぼくにはわかりにくかったことと、息を抜くシーンが全く皆無だったこと(事実そうだったろうから仕方ないと思うけど…)、あまりに直球すぎてスルーしかけた邦題にマイナス10点=75点。
歴史の裏側好きな方や、アウトドア系奇跡体験大好きな方にはおすすめです。
でも、映画に「ロマンチックな感動」や「嘘でもいいから余韻に浸りたい、、、」という方には不向きかも。
ほんと、映画の中ではどこまでも絶望感が迫ってきますから。
『雪山の絆』〜まとめ
「人間は限界を越えられる。また、0.1パーセントの可能性にも望みを託せる生き物である」と教えられました。
素晴らしい映画をありがとうございました。
『雪山の絆』配信は?
NETFLIXで配信中です。
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